窪川から

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窪川から電車に乗るのは、多分2回目 ・・・1回目は大学の頃、朝倉から妻の家に遊びにきた時だ。

もうこちらに住んで6年、いつも車で走っている場所が、少しだけ違った雰囲気で通り過ぎていく。

電車というのは不思議な魅力を持っていて、僕のイヤホンからはプラネタリウムの銀河鉄道の夜のサントラが流れている。 僕のプレイリストが、千と千尋の神隠しの6番目の駅に変わった時に、さまざまな記憶のフックが頭の中をチラつく。

誰もいない始発の電車の中で、山から流れてきたような田んぼを見ながら、なんとなく恋愛の事を考えていた。

僕は今、人生で何度目かの自分の価値がわからなくない時期を過ごしている。

パフォーマンスを仕事にして、兼業主婦としてフルタイムで帰りも遅い妻を支えながら、毎日朝夕はこどもと過ごしながら、何か気力のわかない日々を送っている。

そんな中で、妻との恋愛の事を思い出した。

18年前のある時期、僕の価値の全ては妻に振り向いてもらうことだった。

出会ってからずっとかわいくてたまらない妻だけど、この時期の妻は何か、僕の価値を決めかねない一大事のように感じられた。

その重大さは多分、僕が会社員をしている時に感じていたレールから外れまいとする足掻きよりも、地域で自分のやった事がうまくいかずどこからも孤立してしまった時の喪失感よりと、パフォーマンスの仕事がなく周りに迷惑をかけるくらい目が曇った焦燥感よりも、多分大きかったように思う。

そんな事を考えていると、電車が美しい海岸に差し掛かった、崖の上のような場所にある安和駅は先日お祭りでパフォーマンスさせていただいた場所でもあるけど、高校時代毎日高知に通っていた妻が冬場は楽しみにしていたという、朝日が見える場所だった。

須崎の駅からは、チラホラとリュックを体の前にかかえた高校生が乗ってきた。

思えば僕も、高校の頃は電車で通学していた。

あの時の毎日の景色は今でも少しだけ思い出せるけど、どちらかと言うと彼らが取り出した単語帳や、参考書や、表紙が裏返された小説なんかの方が記憶に深い。

あの薄れた景色も、今僕が見ている景色も少しづつ変わったいくだけで、一気になくなって線路がツタやセイタカアワダチソウや、低木に覆われてしまう事はないように感じられるけど、あと10年もしたらわからない。

僕の住む集落、そして名前をいただいている松葉川の高齢化、急激な人口減少を見ると、本当にわからない。

今年5歳になる僕のこどもが通う保育園は、彼が入った頃は全ての部屋を使っていたと思うけど、今はそのうち2部屋は物置になっているし、窪川のセレモニーホールでは、毎日亡くなった方の名前が–家と丁寧に掲げられている。

四国のJRで採算が取れている路線はないという話が聞こえてくる、僕は地域おこし協力隊をしている頃、窪川駅に停車する観光列車の発着に合わせて、役場職員の方の一緒に旗を振ったりしたけど、あれは乗車している方々はどんな気持ちで見ているのだろうか。

僕は四国から、動きを起こそうと、足掻こうと思う。

日本の地域は、どこも人口を取り合って足掻いている。 多分、大したことはできないのだろうけど、新しい動きを作らなければ、父殺しを試み続けなければ、一緒に少しづつ沈むことしか出来ないと思う。

それは軟着陸ではなく、おそらくこの40年で建てられた建物との衝突なのだろう。

みんなで建物のない場所へ、着陸しなければ、僕らは逃げ切れても、僕らのかわいいこどもたちが、きっと逃げ切れない。

そのために、自分のできる事を、足元から、やっていこう。

そんな事を考えながら、JJF(Japan juggling festival)へと向かっています。

今回のJJFでは、4JC(四国ジャグリングコミュニティ)の仲間とイベント枠を一枠もらって、ジャグリングの事を多面的に参加者とディスカッションする事になりました。

大学から、僕を育ててくれたジャグリング。まだまだ自分のこともままならない僕だけど、仲間と一緒に、四国に還元して、地域に新しい価値を産んでいきたい。

ジャグリング、サーカス、地域 僕の1日が、僕の一生が、からっぽでありませんように

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。