最近思うこと・馬に関する雑記・覚え書き

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こんにちは、高知県・四万十町在住地域密着型パフォーマー、松葉川健一です。

 

ブログ停滞中

気付けば3ヶ月ほどブログの更新を出来ませんでした。

おかげさまで、

地域パフォーマーとしてはイベント出演、大道芸、LEDを使った新演技の発表、川のアクティビティへのコミット、劇団しまんとの活動の活発化

地域おこし協力隊としては、ヨガイベントの開催、松葉川青年団の結成とアートプロジェクトの始動、テントサウナの準備、等々

様々な活動を活発に行わせてもらっているので、書くネタは様々あるのですが、

それぞれ思い入れもあって、大上段に構えれば構えるほど記事を書くハードルが上がってしまって、

なかなか書き出せないでおりました。

そこで、今回は「僕の適当なアウトプットの場」というブログ開始同時の初心に戻りまして、

最近僕がなんとなく思っている事を一つ取り上げてダラダラと書いて、

整理をしつつ、書くリハビリをしたいと思っております。

よかったらお暇な時にでもお付き合い下さい。

最近、生活していくなかで、「馬」という文字に惹かれることがあります。

正直なところ僕は、恐らく小さい頃に観光牧場で乗馬体験をしたくらいで、

いつ馬に触ったかも覚えていないくらい実際の馬との接触はなくて、

馬は僕の活動の本筋にはそこまで関わってこないのですが、

樹木の姿の中に影として動物や昆虫の姿が隠れているだまし絵のごとく、

ふと、馬というキーワードが心にひっかかりをうむことがありました。

米奥の馬洗い

僕が協力隊として担当地域になっている松葉川地区、

中でも四万十川最古の沈下橋である一斗俵沈下橋や間伐材のツリーハウスが近くにある

米奥小学校の付近の地域はこの1年半の僕のメインの活動場所です。

この米奥小学校のすぐ近くに「馬洗い」という場所があります。

ここは、米奥小学校から直接下がっていける川遊びにぴったりの河原で、

5月にはこどもたちが絵付けをした間伐材こいのぼりが流される場所でもあったので、

場所としては協力隊として活動しだした1年半前からよく訪れる場所だったのですが、

この「馬洗い」という地名を知ったのはごくごく最近です。

振り返ると協力隊としての1年目は、学校関係者や移住の先輩など、非地元出身者との関わりが多かったように思いますが、

今年から、地元出身者と非地元出身者との繋がりを増やすような仕事がしたいという思いを持って活動しだして、

松葉川青年団に参加したからこそ知れた名称だと思います。

さらに言うと、この「馬洗い」に関連して、地元で口頭でのみ伝えられたお話があるということを教えてもらいました。

僕は文化芸術に惹かれて脱サラした人間なので、土地の歴史や文化には一定の興味があったので、

平成の大合併の時に作られた窪川町誌をいただいてことあるごとに引いていて、

地域の伝承などには注意を払ってきたつもりですが、このお話は本当に明文化されていないらしく、全く知りませんでした。

サーカスと馬

もう一つ、僕の知り合いでとても馬に強いこだわりを持ってらっしゃる女性がいます。

その方はサーカスを愛し、実際に深く深く参画している方で、サーカスに関する本も出している方です。

サーカスという言葉はラテン語で円を意味するcircusが元だと言われていますが、

なぜ、サーカスが円形劇場だったのかというと、それは馬の上でアクロバットをするために、馬がずっと走っていられる形が必要だったためという話があります。

彼女は実は「現代サーカス」と呼ばれるアートとしてのサーカスを専門にしている方で、

空中芸だけのサーカス集団や、コンテンポラリーダンスに近い作品を持つカンパニーの招聘など、

古典的なサーカスの枠に捉えきれない企画をたくさん打っているので、

その方は「馬」というある種古典的な演目にこだわるのは、

ある種の懐古主義なのか、不思議に思っていたのですが、

最近選挙に伴って書かれたやすとみ歩さんのブログ記事を見て少し考えが変わりました。

その記事では馬とのコミュニケーションが論語と関連させて書かれていました。

馬は個体識別が苦手なので、前後の文脈は通用せず、出会った場面における適切なコミュニケーションの作法でのみ関係形成が出来る、という内容です。

 馬とのコミュニケーションは、暴力も、命令も、お願いも、通用しない。強く大きな動物であるから、人間の暴力は簡単には通用しないし、馬を怯えさせると暴れてしまうので、逆効果である。言葉を理解しないので、命令しても何も通じない。言うまでもなくお願いをしても仕方がない。馬とのコミュニケーションは、全人格的な語り得ぬ力を用いるしかない。(やすとみ歩はなぜ馬で選挙をするのか?)

この適切なコミュニケーションの作法という考え方は、

僕がこれまでサーカスのクリエーションに参加したり、仲間とともに作品を作ったりしてきた中で学んできたことの、

とても深いところの琴線に触れるモノであり、良いクリエーションのために絶対不可欠なことのように思います。

ジャグリングに関わらず、空中芸や人形遣い、ミュージシャン、アクロバットなど、様々な分野のパフォーマー、アーティストと

新しい表現を探し、定められた期間内で作品として落としどころを探っていくためには、

まさに馬と接していくような、ある種の高貴なコミュニケーションの作法が必要です。

深いところに関わる魅力

馬洗いの口頭伝承は、かつて馬がお百姓さんの生活に深く関わっており、

それがおそらく急激に機械文明に取って代わられたからこそ、口頭という形でのみ残っているような印象を持っています。

サーカスと馬の関係も、馬は使わなくても円形を表すサーカスという言葉が残っているように、

人の生活と深く関わっていたからこそ、産業革命を経ても、身体の感覚として馬との関係が残っているような、

ノスタルジーよりもひとつ深い部分の痕跡のような気がして言います。

 

普通に見えているモノからひとつ深く入ったところに、なぜかキーワードのように現れた「馬」という生き物に、全く違う分野の本で似たフレーズを見つけたときのような、じんわりとしたシンクロニシティ的魅力を感じています。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。