JJFでレジデンスプログラムってどうすか?

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なんでもジャグリングに変換して考えてしまう

今年度に入ってから四国学院大学のアートマネジメント公開基礎講座を受けているんだけど

このアートマネジメント講座はプログラムディレクター3人中2人が演劇専門なので、自然と演劇の話題が多くなっている

そこで、演劇の視点からのアートマネジメント講座を聞いていると

同じ「舞台」を使うこともあることから、どうしても自分のフィールドであるジャグリングに変換して考えてしまう

今回は(イギリス)スコットランドのエディンバラで毎年行われている「文化芸術祭」の話題だった

この文化芸術祭の2つの大きな流れから、文化に対する2つのアプローチを知り

それを、ジャグラーに当てはめてみると、こういうことが出来るんじゃないか?ということで

表題の「JJFでレジデンスプログラムってどうすか?」という考えにつながったので

まだ僕の頭の中に残っている今書き残しておきたい

くれぐれも勘違いしないでほしいのは、僕はJJFの運営の批判をしたい訳ではないことだ

毎年多数のジャグラーからJJFの運営に対して賛否両論が寄せられていることは承知している

僕が思いついた事の実現可能性が最も高いのがJJFだったのでJJFを仮定しただけで

JJFに参加したことはあっても、運営に携わったことなどない僕が

JJFの運営に対して何の権利も責任も持てない事は自他共に認めるところだと思う

(JJF=ジャパンジャグリングフェスティバル)

エディンバラの文化芸術祭を支える2つのプログラム

エディンバラでは8月にとても多くのフェスティバルが開催される

国際映画祭や国際ブックフェスティバル、国際インターネットフェスティバルなんてのまで同時期に開催されるようなんだけど

その中で最も歴史が古く最も大きいフェスティバルが、「エディンバラ国際フェスティバル(公式プログラム)」と「エディンバラフェスティバルフリンジ(フリンジ)」だ

どちらも演劇やダンス、オペラなどが舞台芸術やパフォーマンスがメインのフェスティバルだが

公式プログラムは「一輪のバラ」に例えられ、フリンジは「群生するタンポポ」に例えられる

(余談だがフリンジのほうに僕の敬愛するジャグラーの小林智裕さんが出演したことがある)

バラとタンポポ

公式プログラムは主催者によって招待された一流のアーティストが公演を行うプログラムである

これは、滅多に咲かないどこまでも美しい一輪の薔薇を見つけ出し

それを広く人々に見せて文化を共有するという「文化の民主化」の考え方を元にして行われている

対してフリンジは登録料のようなものを支払って、場所さえ確保できればどんな人でも発表が出来る審査が全くないプログラムである

こちらは、最初は公式プログラムに入れなかった人々の集いだったらしいが、どこにでも咲いているタンポポでも

群生できる環境を整えることで美しく価値のある咲き方を出来るという「文化の民主主義」の考え方が自然に醸造されたようだ

そして現在は「文化の民主主義」のほうに時流が傾いているようで

一流と言われる人ではない人でも、その一流の作品を見るだけではなく、アートに参加し創作を通して文化資産を高めるような活動が盛んなようだ

タンポポたちが創作過程でアートへの理解や技術を獲得していくことがひいてはアートに資するということだ

(余談だが最近のアートマネジメントをする人はこの「文化の民主主義」と作品自体のレベルの低下の間で、どちらを選択していくのか常に迫られているようだ)

JJFはバラ主義

ここでこの、「バラとタンポポ」の考え方をJJFに当てはめると大分バラのほうに寄っている

JJFの主なイベントはチャンピオンシップとゲストステージだが

どちらも、一流の人を皆で観賞する内容なのは変わらない

そして、個別のワークショップやフリーステージなどはあるけど、基本的に合同練習がメインのイベントなので

JJFにおける大半のタンポポたちは各自バラバラにバラになることを目指して練習している

JJFというイベントは一輪のバラとバラを目指すタンポポたちで構成されているので

タンポポが群生する環境を作ってみてもいいのではないか?

「文化の民主主義」的なプログラムがあってもおもしろいのではないか?というのが今回の僕の考えだ

レジデンスプログラム

そこでレジデンスとその発表会をしてみてはどうかと思っている

具体的にはプログラムを作る人がコンセプチュアルに参加者を募って期間中に創作をしてもらう

JJFはだいたい2泊3日なので、2日目までの(チャンピオンシップやゲストステージの時間を除いた)の練習時間を創作にあててもらって、それを3日目に発表してもらえばなんとかなると思う

コンセプトは例えば

・関東、関西、その他の地域のメイン道具が同じ3人のジャグラーで組んでもらう

=同じ道具の地域性を浮き彫りにして、得意分野の確認や技術の交流を促す

・大道芸サークルジャグラーと奇術部ジャグラーとジャグリングサークルジャグラーの3人で組んでもらう

=演技フィールドの差による作り方の差を考える機会を作る

・Jポップ派、インスト派、エレクトロニカ派の3人のジャグラーで組んでもらう

=それぞれの音楽に対するこだわりや視点などを共有できる

・運動部出身者、文化部出身者、帰宅部出身者の3人のジャグラーで組んでもらう

・自称技術派、自称パフォーマンス派、ダンス経験者の3人のジャグラーで組んでもらう

など、僕一人だけでもこれだけ考えつくことが出来る

これに、創作を行わない立場で観察して、創作の発表と同時に観察レポートを発表してくれる人がいればなお実りが多いと思う

多様化を多様なまま受け入れて発展するために

ここ10年くらいでジャグラーの多様化はどんどん進んでいるように見えるけど

一方で(僕も含めてだけど)ジャグラーの間に多様な派閥意識のようなモノが芽生えているような気がしないでもない

多様なモノを多様なまま受け入れて、共存しながら発展してくことが望ましいのは

エディンバラのフェスティバルが公式プログラムだけでなく、フリンジで支えられていることが証明しているように思う

僕自身演劇嫌いがとても激しいのだけれども

ジャグリング文化やジャグリングシーンの発展のために、他の文化がたどってきた歴史を鑑みて

その手法を輸入することは、結構有効なんじゃないかと最近思う

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。