村上隆の「芸術闘争論」を読んで特に
コンテクストという言葉が印象に残ったので感想を書いておく
[amazonjs asin=”4344019121″ locale=”JP” tmpl=”Small” title=”芸術闘争論”]現代美術家村上隆とは
知りません
僕は最近現代サーカスに興味があるけど、それでも作品を何十作も見てるわけでもないし
現代美術なんてものは、全くわからないし、知らない。農学部出身の製紙会社勤務だしね
この本だって「公害防止管理者」の試験勉強を近くの図書館でしてて
疲れて適当に書架の間をふらついている時に、偶然目に入って借りてみただけ
でも、どうやら現代アートとして、アニメのフィギアみたいのを作ったことがある人みたい
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現代アート鑑賞の4要素
現代美術、という「わけのわからないモノにやたら高く値段が付くやつ」みたいなイメージとは裏腹に
理論的な本で、内容について、いちいち「なるほどねー」なんて思いながら読んでたんだけど
そのなかでも「鑑賞の4要素」がおもしろかった
・構図
・圧力
・コンテクスト
・個性
この4つを念頭に置いて現代アートは鑑賞するもの、とのこと
まず、アートと名のつくものの評価方法がちゃんと明示されているのが結構驚き
コンテクストを無視する「自由真理教」
その中でも、コンテクストという概念が僕の中では一番の驚き
その作品が、どういう立ち位置にいるのか?ということ
世の中のこういう動きについて、この作家の手法を入れてこういう作品に仕上げることで
こういうことを皮肉っているみたいな
ちょっと説明がしにくいけど、美術館の説明書きに書いてあるようなことが重要になってくるって
歴史とか手法とかを知っているからこそ、それがわかるっていうことをレイヤーとして重ねてあると評価が上がる
でも、日本には芸術=赤貧主義みたいなのがあって
そういう歴史とか手法とか勉強とか技術とか無視して、自分を「自由」に表現するのがホンモノの芸術だ!
みたいな、よくわからないもの思想と教育があって、その「自由真理教」がアーティストの進路を絶って
結局のところ、個性が出てくるのを拒んでいるようだって
とまどいと「自由真理教」を混同しないようにしよーっと
前に善照寺に行った記事の中で
アート系のサーカスに参加したときのとまどいについて書いたんだけど
これも、もしかしたら、コンテクストがわかれば
僕らでも何かしらの理解につながっていたのかもしれない
moimoimoiをしていて、ちょくちょく、他の2人からの提案の内容の理解とかをあきらめることがあったりして
もちろん、理解しなくてもやってみることで何かが掴めることも往々にしてあるんだけど
それでも、多分あきらめちゃいけないんだろう
それを、アートのことだからって「自由真理教」と同一視しちゃいけないなって思った
友達のジャグラーのるき君が、端からみたらそれこそ現代美術みたいなショーケースをしているけど
作っているノートは僕のと似たような「エクセルみたいな」ものだったりしたし
コンテクストを意識しても、圧力や個性が出せるってことを忘れないで
作品を鑑賞してみよーって思った
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