おもしろい視点の本に出合った
栽培植物と農耕の起源 中尾佐助著
[amazonjs asin=”4004161037″ locale=”JP” title=”栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版 G-103)”]読み始めたきっかけ
この本を読み前にスタジオジブリの代取だったり、イノセンスのプロデューサーだったりする
鈴木敏夫の「仕事道楽」を読んでいて
[amazonjs asin=”4004314860″ locale=”JP” title=”仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場 (岩波新書)”]その中で、宮崎駿が衝撃を受けた本であり、映画「もののけ姫」にも影響を与えているらしい本とのことで
一応、農学部卒だし、今会社で農業分野の仕事をしていることもあって読み始めてみた
栽培植物の分布から文化の起源を大胆に予想する
この本は「文化=農耕」だろうとの見解からはじまる
食べ物が安定して初めて余剰の文化が生まれる
古代の文明の興亡も、地域的な農耕の可不可が影響しているし
侵略の成否も、土台には農耕方法の強弱があったはずだ
その立場から、栽培作物の種の分布やその原産地との兼ね合いを眺めることで
文明の黎明期の世界の状況を予想しようとする、非常に大胆な本だ
1年性が栽培される必須条件
この本の中で、僕が興味をひかれたのは
栽培植物として定着するのは、絶対に1年性の植物のみというところだ
果樹のように何年も何年も1つの個体から、果実が取れるほうがお得感があるような気がするが
何年も同じ土地に同じモノを育てていくと、その土壌から同じ成分ばかりが植物に取られるため
次第に最初のころのような収穫が望めなくなる、そればかりか最終的には栄養がなくなってその作物が育たなくなる
また、長期にわたって育てることで、問題も蓄積していくはずだ
今僕は仕事でレタスを育てているが、育てる期間が長くなるほど大きなレタスになるので好ましいが
その分下葉が枯れて病気になりやすかったり、虫の発見が遅れて大発生につながりやすかったりして、リスクが同時に上がっていく
それを考えると、1年に一度リセットできる1年性の植物だけが栽培植物として定着していったのは、納得できる話だ
文化は多様性に向かうのか?
ある種、このことは文化の起源は多様性と反していることを暗示しているような気がする
人間はほおっておけば、なるべく簡単に一様に出来るようなものを選択してしまうのかもしれない
しかし、自然というものをある程度管理して、自然そのものを一様にしてしまっては
逆にリスクが大きくなりすぎて、自然環境そのものが破壊されてしまうことがわかってきている今は
そのような選択を一時的に保留して、多様性を保存するような方法を選択しなければならない時期にきているのだとも思う
その時、重要になるのは、ある種本能から離れた文化である、芸術関係ではないかと僕は思う
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