細分化の流れからみるAVとジャグラー

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実はAVに興味がありまして・・・

THE MANZAI 2017のウーマンラッシュアワーの漫才を見てからというものの

村本さんの動画を漁るようになって、そのきっかけで1冊の本を読みました

著者は社会学者の宮台真司とAV監督の二村ヒトシ

僕はAVについては、これまでそんなに詳しくなくて

むしろ、ほとんど見ていないといっていい状態だったんだけど

この本で書かれていることはなかなか面白くて

下記のツイートのような直感的な妄想を思いついたので

だらだらと説明してみる

 

 AVのフェチ傾倒の流れ

著者のお二人が言うには、昨今のAVはダイブ的指向よりフェチ的指向が強くなってきているということだった

ダイブ的というのは(人格化)的指向、フェチ系というのは(物格化)的指向とも言い換えている

かなり雑にいうと、昔のAVは例えば壇蜜さんが有名になった「私の奴隷になりなさい」みたいなドラマ風だったり

ドキュメンタリー風にしていたりで、かなり人格の描写のほうに重きを置いていた

二村ヒトシ氏曰く:それらはオナニーのためのポルノとしては「面白すぎた」:というAVだ

それが最近のAVはナース服だったり、うんちをしちゃったり、女装した男の子が出てきたりと

モノとか記号とかにかなり寄っているということだった

同様に二村氏曰く:一つのフェチを追求する機能的なAV:というAVだ

男性の性愛劣化

それ流れ自体が良いか悪いかは別として、そういう流れのために

エロい事をする際の課程の部分がないように勘違いすることがあるとういことだ

フェチ系のAVが増えすぎたせいで、AVに描かれる記号がまるで本当のことのように思ってしまう

宮台「女の快感が目に見えないよ!」という頓馬な男のために、AV監督や男優が演出上の効果を狙って「目に見える」潮吹きを取り入れているだけの話。ところが「東大卒の電通勤務」みたいな奴に限って、潮を吹かせようと必死になり「俺は愛人が7人いて」とか居丈高になる。

(どうすれば愛し合えるの 幸せな性愛のヒント より)

本来リラックスして話し合えば、それが快感なのか不快なのかわかる話なのに

性愛という最も動物らしそうな行為をAVが作りだした記号に支配されてしまっていて

エロい事をしているときに全く対話をせず

記号的な行為を繰り返すことで記号的な現象に至るのが正常だと思っている

それが男性の性愛の劣化というべきことだと思う

現実女性の消費財化

それによって、女性のほうが男性のほうに合わて演技をしなくてはならなくなってくる

対話のない状態でAVの記号の通りに反応しなければ、男性のほうが傷ついてしまうのが女性にもわかるので

相手に気を遣う女性であればあるほど、AVの記号の通りの反応を演じることになる

例えば、最初に述べたように僕はそんなに人生でAVに触れてきていないんだけど

僕の婚約者のほうは多少なりとも触れてきているので

最初にそういう行為に及んだときに、僕の方が激しい違和感を感じた

あきらかに行為に対する反応が過剰すぎる

対話がない空間が出来てしまっていて、その場で言うと彼女を傷つけてしまうかもと思ったので

少し間を置いてからEメールで「次からはあんな風に演技はしなくてもいいんだよ」と送ったのを覚えている

本来は、どうしたって生き物なので

そういう行為は両性ともに楽しむべきだと思うんだけど

女性のほうが一方的に演技をしなければならないような状態

現実女性の消費財化という風に仮に名付けてみた

アナラジー不足がいなめない

ここまで本を読んで、ダラダラと考えてみたところでジャグラーの最近の傾向についても

似たような構造を当てはめることが出来るのではないか?という直感がして上記のようなツイートをした

ただ、ここまでブログにして整理してみて、「なんとなく構造が似ているかも?」程度のこじつけであって

ほぼ僕の鬱屈した感情の吐露に近いものだろうというのが自分で感じられて

なかなか恥ずかしいんだけど、まぁ、せっかくなので書いてみようかと思う

直感のキー

直感のキーは、上記のフェチ系のAVが「飛ばさなくてもみたいシーンだけ見れるAV」であるということだ

AVがビデオからDVD、PCと観覧メディアが変化していくにあたって

いわゆる「ぬきどころ」まで飛ばすのが非常に容易になってきたのではないか

それなら、いっそぬきどころばかりのAVのほうがいいじゃないか?というのがフェチ系が流行った理由のように思われた

その飛ばすという行為が、僕のように先輩が静岡まで出向いて頑張ってビデオカメラで撮ってきた

1人に付き30分程度ある大道芸ワールドカップの映像をすり切れるまで物理的に何度も巻き戻し見て育った世代と

最近のyoutubeの5分程度の映像からさらに5秒程度の自分の好きな技に瞬時にアクセス出来て

twitterにその系統の技の5秒程度の動画を出したり、短い技をつないだ5分程度の動画を出したりする世代の

感覚の違いに近い物があるように感じさせた

男性の構成力の劣化

それで、AVが課程をあまり重視しないフェチ系が人気になるように

ジャグリングの演技も30分の演技から5分の技動画、5分の技動画よりもtwitterの5秒の動画のほうが人気になってきたのではないか?

世の男性が記号的な現象を求めて、(対話から成立する課程を重視するゆっくりした性愛)が出来なくなってきたように

ジャグラーが技の難易度や特殊性を求めて、(対話から成立する過程を重視するパフォーマンス)をする構成力が劣化してしまったのではないか?

そこから、構成力の劣化によって、ジャグラーの男性は承認欲求が満たされなくなってしまった

のではないかというところに話が飛ぶ

承認欲求の行き場

5分の演技が出来るとジャグリングの大会に応募することが出来る

30分の演技が出来ると地域のお祭りやイベントなど、一般の人から拍手を浴びることができる

5秒の技ではそれが出来ない

ジャグラーの間でしか承認欲求を得ることが出来ない

しかしジャグリングは、ピアノや野球などのメジャー趣味と違って、まだまだティーチングプロの普及にはほど遠い

そこで、何が起こるかというと、真似してtwitterに動画を上げて有名になったり

それを元手に練習会に行く、ジャグラーの女の子に教えてあげる、女の子が集まりそうなワークショップをやる

それすら出来ないジャグリングの技術が低い子っていうのは、オタサーの姫みたいな子を見つけて追っかけをする

そういうことが実際起きているんじゃないか?ってtwitterを見て噂を聞いているとなんとなく思う

現実女性の消費財化

それが、もっとエスカレートすると、世の女性が男性のニーズに合わせた反応を脅迫されるように

ジャグラーの女の子がジャグラー男性のニーズに合わせた、ジャグリング技術の低い子とか、オタサーの姫みたいな子とか

そういう消費される女の子ばっかりになっちゃうんじゃないかっていう

なぜ他の道具に比べて、ポイとコンタクトとバルーンに女性が多いのか

なぜバリバリナンバーズみたいな女性が少ないのか

なぜ、かわいい格好をしてポイをする動画を、一般への演技としてではなくtwitterに流す必要があるのか

流れとしてはそういう風になっていくのは仕方がないことだとあきらめてはいるんだけど

それはあんまりジャグリングの発展に寄与する流れではないように思う

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。