QOL(生活・人生の質)
初任者研修を受けていて面白いと思ったコトの1つは
かなり初期の講義で「QOL」という言葉が出てきたことだ
QOLはQuality Of Lifeの頭文字を取った言葉で、日本語で言えば「生活の質」
結構ネットニュースなんかでもチラホラと見られる単語で
その場合は「GDPなどの経済的な価値がどんなに上がってもQOLは上がらない」
というような文脈で用いられている事が多いように思う
これは調べてみると、元々はローマクラブの成長の限界で使われてメジャーになった使い方らしい
[amazonjs asin=”4478200017″ locale=”JP” tmpl=”Small” title=”成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポート”]しかし、このQOLという言葉、元々は医療的な分野や介護の分野で使われ出した言葉のようで
ADL(日常生活動作)
ADLはActivities Of Daily Living の頭文字を取った言葉で日本語にすると「日常生活動作」
これは体がまだ元気な若者には理解しにくいと思うんだけど
歩くとか、ご飯を食べるとか、お風呂に入るとか、そういう生活に必要な日常動作が出来るかどうかの指標みたいなもので
例えば、足を骨折して一時的に歩けなかった人が回復して歩けるようになることを「ADLが回復した」とか「ADLが向上した」とか
ADLからQOLへ
これが、一昔前に介護だと、基本的にADLの向上を目指すことが至上命令だったのが
最近はQOLの向上も必要であるという考え方に変わってきたらしい
これは終末期ケアという領域の拡大が源泉になっているようで
これから治る見込みのない病気などを持った利用者さんに、無理矢理ADL向上のためのきついリハビリなんかを課すのは、本当に利用者さんの為になっているのか?
というような考え方から来ていたようなんだけど
何せ医療が発達して人が死ななくなったから、ますますその考え方が重要になってきて
かつ、昨今の多様性を受け入れる世相を反映して
主体性の回復や、人間らしく生きる権利の回復のために
個人的な社会活動や趣味や信仰などを尊重しようという思想も取り込むことで
介護やリハビリテーションの基本的な考え方がQOL主体に移行してきたようだ
難しいけど望ましい方向性
これは、一方で認知症で自分の意志を適切に示すことが難しい高齢者さんのQOLはどうやって向上させるんだ?とか
そもそも人手が足りていない介護業界で個人個人をフォローするようなことが出来るのか?とか
非常に難しい問題もはらんでいて
介護という業種はとても高度な仕事なのだなぁと思い知らされる
緩衝剤にもなりうる
ただ、講師の先生の話だと、その流れはうまく活用していけば自分の大きな武器に変わるとのことだった
介護の技術自体、まだ実習に入っていないのでどれくらい難しいものなのかわからないけど
他人様の体をどうこうするのだから、かなり難しい作業になると思う
実際先生も、この研修の実習ぐらいでは絶対にうまくいかないだろうということを言っていた
しかし、この「QOLの向上」を念頭において、コミュニケーションを頑張って取ろうとして仕事に取り組むと
利用者さんの実際の希望を聞くことでよりスムーズに介護の作業が行えるし
技術が足りなくてスムーズに出来なくても、その姿勢を利用者さんが理解してくれるので
利用者さんのほうから、その技術の不足を精神的に補ってくれるから
実生活でも
高齢者との仕事に関わらず、相手のQOLを考えてコミュニケーションを取るということは大きな武器になりえると思う
一昔前の会社員のように、会社が一生面倒を見てくれる代わりに社員に画一性を求めていた時代は、徐々に終わろうとしている
大企業でも倒産したり、政府の援助が入ったり、会社へのロイヤリティが下がり
それがネットで拡散されてしまったため、世の中の人々のQOL向上への渇望が高まっている
そんな時代だからこそ、相手のQOLを拾い上げれる意味での「コミュニケーション能力」が強く求められていくだろう
介護の現場というのは、高齢者という極端な事例と日常的に相対している現場だからこそ
社会福祉や人の生活についての最前線を走っているのではないかと最近思う
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