森つくりで人つくりをたとえてみる試み

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こんにちは、高知、四万十町在住パフォーマーの松葉川健一です。

 

中山間地域に生きるパフォーマーを目指していくうちに

「森」に関わったり、積極的にかかわっていきたいと思うことが多くなってきました。

先日も、公益財団法人四万十川財団が主催する「四万十樵養成塾」に参加して、

チェーンソーの使い方と伐木の方法を学んで参りました。

「森」というものは本当に面白いもので、伐木や林業のお話しを聞いているうちに

今の日本の人つくりを取り巻く状況との類似性を感じましたので、

なんとか文章化してみようと試みてみようと思います。

通直な木

林業関係者は、材木にするのに素晴らしい状態の立木のことを「通直な木」と呼びます。

この通直というのは文字通り木の幹がまっすぐになっている木のことです。

木の幹なんてものは基本的に勝手にまっすぐになっているような気がしますが、

街路樹なんかを見ると案外幹は曲がっていたり捻じれていたりしていて、木の上のほうでは幹が枝分かれしたりしています。

しかし、人里から近かったり、道路沿いにある森の木を見ると(大概が杉ですが)木の幹はねじれもなくまっすぐに生えています。

これはなぜなのか?それは人の手が届くような場所の森はほぼ100%人工林だからです。

密植して間伐する

人工林は材木を作るために植林をして作られた森です。

そのため、上記の通直な木を作るための植林および管理手法をとります。

具体的には、最初は等間隔に多くの木を植林し、森が育っていくにつれて間伐します。

一定の面積の中にたくさんの木が植わっている状態を「密植」と呼びますが、

木は光を求めて成長するため、密植状態にすると、お互いにお互いの影で育つ方向を制限しあうので、

四方を等間隔に植えていれば、幹がまっすぐに成長します。

しかし、そのままの状態で永遠に育ててしまうと、お互いの影が邪魔になって成長が妨げられ、

幹が上に細く長く成長してしまい、材木にした時の価値が下がってしまうので、

成長の悪い木や、自然に生えてきた木などを適切な時期に伐木し、ちょうどいい間隔を確保することで、

材木としての価値を高め、その下の環境も豊かになります。

企業戦士を育てる学校教育

この考え方が、学校教育にスライドできるのではないか?というのが今回の趣旨です

担当地区の学校の統廃合の話し合いなんかを聞いていると、

特に50代以上の一定数の方は「学校にはなるべくたくさんの人がいたほうがいい」という意見をお持ちでした。

みなさま考え方はそれぞれでしょうが、学校教育に求められている画一的な教育方法が前提にあると思います。

ある程度の大人数を一度に教えることで、子供たちの切磋琢磨を促し(一方で同調圧力もあるわけですが)

通直なこどもを育てたうえで、優秀なこどもを次のステップの学校に送り込んでいく。

中学校、高校と一様に通直に育てたこどもの中で優秀なこどもを大学へと残して育てていき

そこまで優秀ではなかったこどもは間伐して企業へと先に送り出しておく。

ドラマの踊る大捜査線で描かれたノンキャリアとキャリアに埋まらない溝を持つ組織構造は、

程度の差こそあれ、それなりに大きな企業であればよく採用していることだと思います。

間伐が行われない問題

林業の世界では、間伐が行われない森が増えていることが問題になって久しいです。

間伐が行われないと、木が上に長く細く育ってしまい材木としての価値が下がってしまいます。

間伐を行い、適切に残して30-50年育てた材を「主伐材」といいますが、

安い外国産の木材がたくさん入ってきてしまった今、間伐した材はおろか主伐材であっても

管理費に比べて採算が取れない状態になっています。

そんな状態で間伐を行っても、間伐して材を山から持ち出す費用さえ捻出することはできません。

間伐が行われず、主伐材の価値を上げることができなくなる悪循環に陥り森の管理を全くしなくなってしまった結果、

細長く伸びた人工林の影に遮られ地面まで光が届かず、背の低い木が育たないので

固定する力が弱い地面に細長い木が育つことになるので、少しの雨で土砂崩れを起こしたりする

もともとの植林した意味がなにもなくなってしまう、逆に損害しか生まない様な森ができてしまうのです。

経済と画一性と

学校教育も、大人数を集め画一的な教育を行った結果として、

企業組織と同調圧力への適応性が高い人材をたくさん生み出しましたが、

交通手段が発達し、世界的に人の移動が容易になっている昨今、

経済価値を主眼においた場合にそういった人材ははどれだけの価値があるでしょうか。

林業は他の製造品よりもモノができるスピードが遅いので、30年、50年先のことを考えなければなりませんが、

学校教育も根本的にはそのようなスピード感覚で行うことべきことのように思います。

まずは持続性

経済価値を主眼に置くことが間違っているというつもりはありませんが、

ここ10年くらい盛んに言われている「多様性」の必要性はここらへんに根拠があるのではないかと思っています。

多様性を声高に主張する人自体が、多様性を受け入れられない人に対して不寛容だったりして、

「多様性」という言葉自体にも弊害が出だしているような気もしますが、

長い目で見たときの持続性に資するために、様々な分野で多様性を寛容する必要が出てくるのではないかと思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。