こんにちは、高知・四万十町在住パフォーマーの松葉川健一です。
2018年ももう終わりですね。
僕は前勤めていた会社を辞めてから、もう1年経ちました。
1年活動してみて、僕としては初心から意志が変わらず、パフォーマーとして生きていきたいという気持ちを保っています。
僕のことを受け入れてもらっている四万十町、松葉川の方々には感謝の念が絶えませんが、
案外近しい人にも僕のパフォーマンスへのこだわりというのはあまりお話していないように思いまして・・・
自分自身への宣誓がてら、今回は、その理由をつらつらと書いてみようと思います。
ありがたいお誘いも・・・
四万十町の地域おこし協力隊として活動させてもらいだしてから、もうすぐ1年になります。
協力隊として松葉川という地域を担当させてもらって、観光振興・地域作りの仕事をさせてもらうなかで、
ありがたい事に僕の協力隊卒業後の事を考えてくれる地域の方もいらっしゃって、
農業や観光関係の分野で、しっかりと腰を据えて、なんならすぐに協力隊を卒業してでもやってみないか?
というようなお誘いも頂いております。
しかし、ひとまず僕は協力隊とパフォーマンスの二足のわらじを脱ぐ気はありません。
協力隊の活動日を除いた日程で可能な場合でも、自分のパフォーマンス活動に支障が出る日程が組まれるモノはお断りしています。
と言っても「パフォーマンス一本でやることがプロだ」というような考えは持っておりませんし、
自分の人生戦略の中でイベント出演だけで生計を立てるつもりはありませんが、
それを含めたパフォーマンス関連の活動が出来なくなるような選択は協力隊を卒業しても可能ならしたくありません。
それは僕が自分がこの地域でパフォーマー・アーティストとして生きていくことが天命だと思っているからです。
サーカスアートとは?
僕がパフォーマーとして生きていこうと決めたのは、間違いなく瀬戸内サーカスファクトリーとの関わりが大きいですが、
その原体験はファクトリーと初めて仕事をさえてもらった時に、実力派ゲストとして呼ばれていたカナイケイスケさんとお話したことでした。
フランスの国立サーカス学校を日本人として初めて卒業したカナイさんは、ヨーロッパのサーカスのことをたくさん僕や泊まり先のホストさんに話してくれましたが、
中でも僕が一番心惹かれたのはこども向けの「サーカス学校」のことでした。
フランスでは、日本で小学生向けの野球やサッカーのクラブがあるように、大小様々なこども向けのサーカス学校があって、
気軽にサーカスの道具を触ったり、玉乗りを練習したり出来る環境が整っているそうです。
サーカスは僕がやっているようなジャグリングの他に、アクロバットや一輪車などの身体操作技術も勿論重要ですが、
実際に発表するとなると衣装やメイク、道具や舞台セットには美術の要素が入りますし、
音楽に合わせた演技を考える場合は、音楽の要素、もし楽器が出来る仲間がいれば演奏も視野にいれての演出を考える、総合芸術です。
(写真は瀬戸内サーカスファクトリーによるさぬきこどもの国クリスマスミニサーカス、撮影は西川博喜さんです。)
教育に利かせるサーカス
さらに、現在ヨーロッパで活発な動きを見せていて、瀬戸内サーカスファクトリーもメインターゲットにしている「現代サーカス」の世界では、共創という重要な要素が入ってきます。
伝統的なサーカスは演目のオムニバスで舞台が構成されていて、寄席のように演目が並べていく形ですが、
現代サーカスではそれをなんとかして一つに融合しようと試みます。
こども向けのサーカス学校であっても意識の高い学校であれば、それぞれ様々な能力や個性を持っているこどもたちが
どうやってそれぞれの個性を出し切って一つの作品を作れるのか、こどもたち自身に考えてもらうようです。
日本の学校教育は一定水準の問題回答力を広く普及するのにすさまじい力を発揮していると言われますが、
逆に答えのない状況(学校教育以外はみんなそうだと思いますが)、様々な能力、様々な立場を持った人達とどうやって落としどころを探っていくのか?という
問題解決力は置き去りにされているように思います。
サーカス教育はその不足を埋めるのに最適だと思います。
実際異分野の人と共創してみて・・・
実際に僕自身、カナイさんの言葉や瀬戸内サーカスファクトリーに触発されて、
人形遣い女性と音楽の女性と3人でパフォーマンスチームを作って、2つ作品を創作、上演いたしました。
この上演内容自体も僕たちにとってとても意味のあることでしたが、
それよりも、2人の考え方や感性に深い部分で触れて、時にはぶつかることで、
自分の全く知らない価値観、リズム、色彩で生きている人とそれを取り巻く世界があることを
実感として感じられたことが僕にとっては本当に重要でした。
大学院を出たばかりの僕がフォントや位置関係をしっかりと整理して作ったプレゼンを見せても、全く伝わらなかったイメージが、
僕の本当にぐちゃぐちゃに近い直筆の絵を見せると、一発で伝わって思った通りの流れが出来た経験なんかは、
本当に僕の中で人の価値観や見え方の不確かさを思い起こさせます。
(写真は瀬戸内サーカスファクトリーこんぴらだんだん、実験劇場でのコンテンポラリーダンサー三木優希さんとの創作の様子です)
作品は長い目で見て、自然と向き合って
僕が会社を辞めると決めて、有給期間で受けた1週間の現代サーカスのワークショップ
その講師だったギヨームベルトランは
「ギヨームは、クリエイターとは未来に向けて、知識や経験を後進に伝えていくべきだと考えている。
他者と経験を共有することは、アーティストとして、教育者として、彼の活動の軸となっている。」
と瀬戸内サーカスファクトリーから紹介される方で、
僕のこれからの生き方の方向性に経験に裏打ちされた理論を加えて、強く送り出してくれました。
ギヨームが生まれたフランスのような体制は日本にはないですが、
僕はパフォーマーとして活動しながら、それを草の根で実現していきたい。
日本では自分自身が生きていくために、アーティスト活動に専従することはかないませんが、
考え方を受け継いで、日本に合わせた形で実現してくことが、
元々は型にはまったレールに乗っていて、5年近く会社員をやりながらも、ついには脱線した僕に与えられた使命ではないか?
そういう風に思っています。
パフォーマーとして生きていく
日本は高齢化社会になって久しく、人口が増える見込みはないと思います。
お金も人口も増える想定で作られていた、人を徐々にかたにはめていき、はまらない人をはじくような教育では、様々なことのなり手が不足して崩壊してしまいます。
多様な人や多様な考えを受け入れつつ、共創で未来を作っていくアーティストに、誰もがならなければ、
周りの環境ごと崩壊してしまうのがこれからの日本であり、世界であるように思います。
だからこそ、天才ではなく、凡人こそアーティストになるべき、という思いを込めて、このブログの名前にしています。
この1年地域おこし協力隊として四万十町の活動してきて、なんとか第一歩は踏み出せているような感覚でいます。
四万十町、松葉川地域の関わっていただいている皆様に感謝するとともに、
多様性を受け入れることが出来る文化をこの松葉川、四万十町に育む一助になるために、
可能な限り、パフォーマーとして生きていきたいと思っているのでございます。
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