今までで一番最悪だった2日間半について

スポンサーリンク

こんにちは、松葉川健一です。

今回は本当にとりとめのない記事を書こうと思います。

 

僕は今は四万十町の地域おこし協力隊とパフォーマーの二足のわらじでやっていますが、

去年までの5年間は製紙会社で会社員として働いていました。

その5年間の中で、人生で一番最悪な2日間半というのがあったのを唐突に思い出したので、

書いて自分の中で供養しておこうと思います。

ろくな話ではないし、真面目な気持ちで書くわけでもないので、そのおつもりでご覧下さい。

 

製紙会社について

僕はとある製紙会社で現場スタッフとして働いていました。

現場スタッフというのは、ホワイトカラーでありながら、ブルーカラーとの兼業を強いられる職業です。

紙をつくる会社と聞いて、昔ながらの紙すきのようなものをイメージしてはいけません。

製紙会社はとてもなく大型の機械を使って高速で大量の紙を造る装置産業です(抄紙機と検索していただければわかります)。

僕のやっていた仕事

会社は大きく事務所と工場に分かれており、事務所は皆様がイメージする事務仕事をやっています。

工場は現場スタッフ(以下スタッフ)と現場作業員(以下現場)に分かれており、スタッフは基本的に大卒の管理職候補です。

現場は基本的に高卒の作業工です。

大卒のスタッフは、部長・課長・係長・主任・平社員で構成されており、年数で役職が上がっていきます。

高卒の現場は、どんなに頑張っても基本的には係長以上にはなれません。

僕のやっていたスタッフは現場をまとめる立場にあって、営業とのやり取りや、施設保全部署とのやりとりなど、他部署とのやり取りも担当します。

基本は現場作業は現場に任せるが・・・・

基本的にスタッフは現場作業は行いません。

しかし、現場の責任者の方などは新人スタッフを教育する気なのか、ただたんにうっぷんを晴らしているのか、

とりとめのない現場作業の細かい部分の質問をしてくることがあります。

答えられないでいると「こんなことも知らんとスタッフなんて出来る訳なかろうが!!」と怒鳴られます。

抄紙機の事や現場作業のことなどは完全には資料化されていませんし、係長などの管理職も怒鳴られて断片的に覚えているだけなので、教えてくれる人は希です。

負のスパイラル

そこから、現場からスタッフへの作業の押しつけがおこります。

現場が担当するべき作業の一部(清掃などが多いですが)をスタッフがするべきと迫るわけですが、

管理職としては、現場に働いてもらわないと工場が立ちゆかなくなる状態なのである程度許容することになります。

そうするとスタッフの作業が増えた分、スタッフが本来やるべき管理作業や全体を見通す作業、創造的な仕事をする時間が削られることになります。

スタッフがそうなってしまうと、下の世代の教育どころの話しではなくなってしまって、

連鎖的にスタッフの管理能力が落ち、会社の発展について考えられる人材が生まれてきません。

それ以前に施設保全部署とのやり取りがおろそかになるので、重大な整備不良から大きな事故へとつながり兼ねません。

スタッフがホワイトカラーでありながら、ブルーカラーとの兼業を強いられることで、スタッフが疲弊して工場自体が弱っていく。

そういう状態になっているのが、スタッフとして働く僕の実感でした。

そして・・・

そしてそれを証明するような事故が起こりました。

製紙会社の工場は基本的に24時間動いているので、1日ほど機械を全て止めて点検や補修を行うことを運転の対義語で「休転」と呼びますが、

その「休転」を経た後に、ある一つの機械が上手く作動せず、運転状態に出来なくなってしまいました。

「休転」時間は営業とも相談の上決められていて、しかも紙の機械は1分間に幅15mで1000mもの紙を造る機械です。

機械を予定よりも多く止めれば止めただけ、製品の在庫が足りなくなります。

もちろん在庫は余分に持っていますが、それも無限にあるわけではありませんし、在庫を積み増しするためには、どこかで紙を売る量を減らさなければならないかもしれません。

スタッフは眠らない

そういうトラブルの時はスタッフが施設保全部署と共に対応をします。

しかし、いっこうに解決の糸口が見つかりません。

僕は当時一年目で何もわからない状態でしたが、「とりあえずこういうトラブルの時は絶対に見ていろ」と言われて

相談する上司たちについて周り、雑用を行いました。

色々なことを試して、次の日の朝になりました。

「休転」作業の清掃から手伝いをして、ずっと工場にいるので、ほぼ1日いることになります。

ついに工場長が

次の日になったので、工場長も来て一緒に対応をはじめました。

しかしなかなか対応は出来ません。

結局、その機械のオイルが悪いということになり、何十トンもあるそのオイルを全て交換することになりました。

何十トンというオイルを発注し、すぐにめいっぱい持ってきて貰い、他の部署の同じオイルもかき集め

全ての作業を終えて、「休転」状態から復帰して「運転」状態に戻ったのはその次の日の昼間でした。

何が学べるか

約2日半寝ずに起きていて、上司について回って雑用をしていたわけですが、

何かしら学んだとしたら、「この会社はそのうち立ちゆかなくなるだろう」ということぐらいでした。

もちろん、その時に問題があった機械については、対応策がとられて、マニュアルも造られましたが、

その機械というのは全体からみると100分の1にも満たない割合です。

スタッフがしっかりと時間を取って管理作業をして、マニュアルや下の世代の教育にも時間を割けるような

文化を創らないことには、別のどこかの機械が同じようにトラブルを起こすことを繰り返します。

先のこと、サスティナビリティと

そうやって綱渡りのような体制でこれまでやってこれたわけですから、

これからもやっていけるのかもしれませんが、日本人はどんどん少なくなっています。

そういう体制では僕のように会社に愛想を尽かして転職を考え出す人は少なくないでしょう。

それでも人がとっかえひっかえしながら、適応できる人材を見つけられる状態が続いていたのでしょうが、これからもそうである保証はありません。

実際、僕は退職する前の1年くらい、人事課の方ととても懇意にさせてもらいましたが、

応募はどんどん減ってしまって、採用は年々難しくなっているということをぼやいていました。

これからは、会社も個人も暗中模索でありながらも、先のことを考え、サスティナビリティを尊重していった人だけが

生き残っていくような世の中になっていくような気がして、僕はなりません。

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。