第2回SETO LA PISTE 実験劇場 まるくす「focus」感想

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第2回国際創作サーカスフェスティバル SETO ラ・ピスト

瀬戸内サーカスファクトリーは、地元で創作をしているパフォーマーのために

去年の第1回に引き続き、自由料金制で発表の場を用意してくれている

それが「実験劇場」http://www.setouchicircusfactory.com/perfomance/2016/setolapist2016.html(ページの下の方)

僕自身も「moimoimoi」として出演したんだけど

今回は最近急速に仲良くなっている、ジャグラーのまるくすくんの感想なんかを・・

作品概要

実は今回演じられた演技については、構想段階からちょくちょく相談を受けたりしていて

創作途中の演技を見せてもらったりもしていた

舞台構成としては、リングと椅子と本人だけで行われるものだ

白いシンプルな椅子が置かれ、白いリングが床に並べられている中

静かな音楽を流して、何かしらの行動をしたり、ジャグリングをしたりしながら、舞台を構成する

ジャグラーの創作

ジャグラーによる創作は記号的な意味を多用することが多いように思う、あと神経質

例えば、ダンサーさんやエアリアルアーティストさんは、基本的に体のみを使った表現なので

表現する対象が、もっと感覚的というか感情的というか、すこしふわふわしてるように思う

逆に古典的な演劇を行う役者さんなんかは、完全な文学テキストを使用するので

意味が記号的ではなく、もっと言語的だ

対してジャグラーは、文学テキストの代わりに道具を持っているから

表現する意味が記号的だったり、数式的だったりしやすい

記号的な意味を組み合わせて、なんとか表現を作り出そうとする

だから、結構ややこしいとういか思考的というか偏屈というか

感覚的な表現なら、お客さんは感覚に任せて感じていればいい

文学的な表現なら、普通の文法を使ってその文脈を追っていけばいい

記号的な意味を組み合わせた表現は、記号を一度言語化して、それを独自の文脈で解釈する必要がある

未知子先生にお聞きすると、フランスのサーカス界でも「ジャグラーは神経質」というのはよく言われる話らしいけど

それは、きれいに投げていればよかったジャグラーが、創作の世界に踏み込んでしまったときの、ある種の宿命のようなものだと思う

もちろんそういう構成的な作り方が何かにはまって美しいモノを生み出すこともあるんだろうけど

自分の状態を出してしまうこと

まるくすくんは「実験劇場」の前に在学する香川高専の学際で同じテーマの演技を行っている

基本的な流れは一緒だけど、実験劇場では最後の部分だけ変えている

具体的には、最後落ち着いて終了していた部分を、リングをとにかくばらまくように投げて

本人がくるって壊してしまうような演出に変えていた

これは、僕も経験があることなんだけど(実際の意味はもちろんわからないけど)

全て記号的なモノで舞台を構成して作り終わった後に、記号に支配されて身動きが取れないような状況に気が付いて、これはいったいどうしたことだろう?っていう

今現在の自分の状況への焦燥みたいのを表現していたと思う

瀬戸内サーカスファクトリーの影響

こういう演技の改変が起こるような、心境の変化っていうのは

瀬戸内サーカスファクトリーとかかわっているからこそだと思う

例えば、(ながめくらしつは完全に別格として)最近、東京や大阪の都会のほうで

ジャグリングと演劇要素を混ぜたようなカンパニーがたくさんできているけど

そういうところにいたら、こういう風に演技を変えるって発想は出てこないと思う

フランスの実力派アーティストやダンサーなどのまったく異なった表現を持っているアーティストを見て

それとためらいなく同居させてくれる「実験劇場」だからこそ、まるくすくんもこの演出変更に踏み切ったと思う

 

 

・・・・・瀬戸内にもっとパフォーマー移住してこないかなー(最近の口癖)

 

 

 

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