映画「火花」感想 売れない芸人は舞台の上の全てを肯定する

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爆死スタート!だから見に行く

先ほど、映画「火花」のレイトショーを見に行ってきた

原作は2015年の芥川賞受賞の同名の小説

お笑い芸人が書いた小説が芥川賞になったということで、かなりの話題になった「火花」だが

映画公開日のネットニュースに書かれていたのは「まさかの爆死スタート」

話題性は折り紙付きだし、主演に今人気の俳優さんを使ったのに客足は今一つということで

ピースのネタが好きで、ipponnグランプリなんかの又吉の大喜利も大好きなのに

流行っている時には読む気にならず、今年に入ってほとぼりがさめたと思ったときに読むような

あまのじゃくな僕は、「ニュースで爆死っていってるなら多分面白いだろう」と思って見に行った

映画は社会の仕組みを描くべき

はたして、映画「火花」は面白かった

僕の尊敬する押井守監督が何かのインタビューで「その人個人の心や、感情の軋轢なんかは文学に任せとけ」という趣旨のことを言っていたけど(正確には覚えていないけど)

小説を最近読んだ僕にはまさにこのことが強く感じられた

小説を読んだ時に僕は、「気にしすぎ芸人」である又吉本人を反映している主人公の

周りになじめない感じや、舞台の上で表現を突き詰めたい衝動や、わかってもらえる人がいる青春など

個人の感情の軋轢に深く共感して、どんどん読み進めることが出来た

それが映画では、もっと社会の構造への反骨心とか嫌悪感とか

大きな意味で社会に属している事の面白さというか、そういうモノが強く印象に残った

売れてるヤツがウザイ

具体的に言うと、小説ではそこまで存在感がなかった「デビューしてすぐに売れた後輩」が

主人公達が飲んでいる居酒屋のテレビに「CM」で出てきたり

主人公達が缶コーヒーを買う自販機の下の方の広告に出てきたりして

イチイチとてもウザかった、それは主人公達が自分の笑いを突き詰めれば詰めるほど、売れることから遠ざかっていくような

不安な気持ちと対比されて、社会への嫌悪感と反骨心を奮い立たせる

有吉弘行がいう「売れるということはバカに見つかるということ」という言葉が思い出される

でも、だからこそ売れない芸人は舞台の上の全てを肯定する

同時に主人公たちのセリフも「社会」というモノにかなり肉薄した印象になっていく

売れる芸人は一握りだけど、その一握りが出来るためには、その他大勢の売れない芸人が絶対に必要だ

ライバルがたくさんいるから売れる芸人の芸は面白いし、実験する芸人がいるからその中から売れる芸に見いだされていく

それは全ての芸人の共同作業のようなもので、舞台に立った全ての芸人がいたからこそ誰かが売れている

だから芸人をメインの仕事から外したとしても、一度舞台の上に立ったら引退はありえない

そんなメッセージは映画だからこそ、より凄みを増して聞こえた気がした

正直僕はとても楽しめた

 

爆死するべくして爆死した

蛇足になるが、上記のネットニュースでは「まさかの大爆死!?」みたいに書いてあったけど

正直当然というか、イケメン俳優を目当てに映画を見るような女子は

芥川賞の価値なんてなんとも思ってないような人達だろうし

(テレビ番組で「芥川賞ってどれだけすごいの?」みたいな街角の声をやっていた)

「芸人なら又吉」とか言い出しそうな、いわゆる「サブカル女子」なんかは

イケメン俳優とか板尾創路監督とか、そういう売り出し要素を嫌うこともあるだろう

男性の大半はそもそもイケメン俳優は嫌いだ

イケメン俳優を使ったからって、「火花」の映画がバカ売れするようなら

そもそも「火花」という小説は書かれることがない

小説「火花」も映画「火花」も僕はオススメです

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