農から離れてしまった祭りの末路(観音寺で大型トラックがだんじりの列に突っ込む)

スポンサーリンク

今年(2016年)の10月8日に僕が住んでいる愛媛県四国中央市のお隣、香川県観音寺市にて

だんじりの列に大型トラックが突っ込み死傷者多数とのニュースがあった

痛ましい話、しかし

僕はこのニュースから、なんとなく祭りの意義を失った天罰のようなものを感じたので

なんとなくそんな話を書いておこうと思う

あ、僕はここら辺の祭りは嫌いなのであしからず

 

四国中央市付近の秋祭りについて

僕の住んでいる四国中央市のあたりは観音寺から新居浜、西条あたりまで、どこも秋祭りをやっている

「ちょうさ」や「太鼓台」って呼ばれる太鼓がついた大きくて豪華絢爛な山車が特徴

基本的にはこの山車を引いて回って雨乞いをするのが本来の趣旨なんだろうけど

地域によっては「かきくらべ」っていうのがある

この太鼓台は山車としても神輿としても使えるような構造になっていて

移動するときは車輪で引いて行くんだけど、奉納するときは神輿みたいにみんなで担ぐ

これを競い合って担ぐのが「かきくらべ」だ

これが奉納の意味はもうほぼなくなっていて「多数の屋台でのかきくらべを観衆に披露する目的のほうが優先される風潮にある」ってWikipedia(2016年10月13日時点)にも書いてある

新居浜太鼓祭りの「鉢合わせ」

なかでも有名なのが新居浜のこれ

ただ担いでいる時間とか、担いでいる高さを競うんじゃなくて

意図的に太鼓台同士をぶつけ合う喧嘩・・・ちょくちょく怪我人多数・・

もちろん警察なんかは禁止してるんだけど

 

これ、「鉢合わせ」なんて名前ついてるけど、ほぼただの喧嘩みたいなんよね

ここらへんには、祭りって名目でただの暴徒がしたい地元のヤンキーってのがいっぱいいてね(苦笑)

ここらへんは工業の町

ここら辺一帯は工業の町だ

四国中央は紙の町、新居浜は化学薬品の町

地元の人間はほとんど企業の会社員になっている

親は農家だったけど立ちゆかないし自分は工場勤務で、親が亡くなったら遊んでる田んぼどうしようか、とか

親は漁師だったけど自分は工場勤務で、親が亡くなったら船どうしよう、とか

そういう人が50-60代だったりするのがここらへん

今はその子供世代が祭りのメインだから

昔は漁師の漁場の奪い合いなんかが喧嘩の元だったんだろうけど

今はただの喧嘩、見栄の張り合い、工場に抑圧されてるから暴れ足りてないだけ

よそ者の僕から見たらそんなイメージ

ここらへんはトラックが多い

昔、当時の先生とここらへんに勉強に来たときに

先生が「ここらへんはトラックの交通量が日本で一番らしい」と言っていた

紙ってのは工業製品の中でもかさばるほうだからね

紙に限らず工業製品の多くは大型トラックで瀬戸大橋を通って都会に運ばれているんだろうし

何が言いたいかというと、今回だんじりに突っ込んだトラックもそういうトラックじゃないかってこと

ここまで考えると、だいぶ示唆的だよね笑

祭りにコンビニ弁当

太鼓台は男祭りだから、子供のことも含めて、奥様がバックアップを担当していることが多いんだけど

見る方も見る方で、練習を見にいくだろう奥様方がコンビニで家族全員分の弁当やお茶やお菓子を買ってたりする

 

やれやれだぜ

 

例えばここらへんの神様が神社なりにいたとして

元々は雨乞いとか豊作とか、自然への畏敬と感謝がメインのイベントだったのに

農業や漁業が廃れてそういう意識は全然ない

神社への奉納よりも交差点やら駐車場やらでの「かきくらべ」が優先

それも、やってることは鉢合わせの喧嘩

はては、東京のほうのメーカーさんや代理店さんなんかが

地元の工場勤務者のご機嫌取りのために参加してたりもするし

ちょっと制裁したくもなるんじゃないですか?

 

工業化に任せてコンビニで弁当買ってあばれるよりも

地元で何が出来るのか、どうやったら生き残れるのか考えた方がいいんじゃないですか?

そんな、よそ者から見た

だんじりにトラックが突っ込むニュース

 

スポンサーリンク

2 件のコメント

  • しばしば、ブログを読ませていただいてます。

    満を持してコメントさせていただきます。

    何度も文字を書いては消しの繰り返しで
    書けば書くほど伝えたいことが埋没していきそうなので
    シンプルに、伝えたいことだけ言います

    山本様は有神論者、または汎神論者なのでしょうか?
    子供から大人までが犠牲になり、亡くなった方もいらっしゃるあの痛ましい事故を
    神罰だとおっしゃるのは軽率ではないでしょうか?

    • ブログをお読み頂いて、コメントまで頂きまして
      どうもありがとうございます。
      恥ずかしながら、汎神論者という概念を初めて知りました。
      僕はどこかの宗教に帰依も所属もしていないので
      基本的には有神論者でも汎神論者でもありませんが
      「信仰」に対する考え方は汎神論と近いモノがあるような気がします。

      事故を神罰だとするのが軽率ではないか?ということでしたが
      もし僕が神職や僧侶のような、神や信仰を広める立場にあった場合は
      確かに軽はずみな言動だと思いますし、ご忠告に感謝するところですが
      そうでない僕の言動である限りは、特に軽率だと思う事はありません。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。