音楽を通した学術論考と経験を通した現代社会への考察が入り乱れる
不思議な本を読んだ
サウンド・コントロール 伊東乾
[amazonjs asin=”4046532394″ locale=”JP” title=”サウンド・コントロール 「声」の支配を断ち切って”]基本的にはエッセイのような形で書かれているのだが
まるで科学論文のように理路整然と研究を扱っていることもある
東大理学部物理学科出身の音楽科として、「聴く」とは何かをジャンルを超えて問い
作曲、演奏、基礎研究と幅広い活動をしている著者の文章は
自らの経験から始まっているようなのに、いつのまにか音を鍵にした学術論考になったり
学術論考から歴史解釈の考え方に戻ってきて、最終的に現代社会の状況へと考察に還元されたりする
ごちゃごちゃなようで整合性がとれている文は読んでいて不気味で
僕みたいな凡人には書評としてまとめることなんか出来ないんだけど
部分部分で面白かったとこなんかを紹介してみようと思う
枯山水と苔庭は防犯装置
この本には1章まるまる銀閣を主題にした章があるんだけど
その捉え方は決してありきたりではなく本人の専門である「音」から入っていて
それがとても面白かった
銀閣の庭は白い石が敷き詰められた「枯山水」と苔が敷き詰められた「苔庭」で出来ているらしいのだけど
このどちらもが音を吸収する強力なサイレンサーだというのだ
2つのサイレンサーで構成された庭から著者には「無音の広がり」を感じることが出来たらしい
同じサイレンサーでも、枯山水は人が歩くと音がなるし、波の形に整えられた石を踏めば足跡が残る
それは「無音の広がり」の中で侵入者の存在を容易に教えてくれる
また、逆に苔庭は人が歩いても音がせず、毒針などを隠すことも用意なので
お庭番(いわゆる忍者)の通路になっていたのだろうということで
日本のわびさび文化の元になったと言われる銀閣の枯山水と苔庭を
音という切り口から防犯装置として再定義する大胆さは痛快としか言いようがない
裁判用の建築はAV器機
この本では、ローマと日本の裁判で使われていた昔の建物について
その音響をフィールドワークで確認した事が書かれていて
どちらも、現在の裁判官に当たる人物が位置する場所は
そこで声を出すと、声が大きくかつ威厳を持つようにエコーがかかるようになっており
逆に現在の被告人が位置する場所は
大声を出しても、前述のサイレンサーがうまく配置されており、声が小さくなってしまうことが書かれている
今の常識を疑う事
前述のようにメチャクチャなようで整合性がとれていて、全てが同じ結論に帰着するような本ではないんだけど
「今の常識を疑う事」というメッセージが随所に見られるような気がした
戦争が終わってから生まれた日本人は、裁判と聞くと「公平な場」というイメージが強いけど
裁判官と検事と弁護士が別々の権利を持つ三権分立はモンテスキューが作って以降の制度で
上記の江戸時代の裁判は遠山の金さんよろしく、三権を全て役人が兼ねている状態だった
それでも江戸幕府は約250年続いたわけでそこまで悪い精度とも言い切れないだろう
今現在の常識と言われるモノも、音による洗脳で作られた認識が歴史を経ることで常識化したものかもしれない
そんなことを漠然とではあるけど、それぞれの論点からは明確に
歴史、建築物、宗教、洗脳なんかを例に提示してくれているような本だった
本当によく出来ていて不気味な本だった
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