すらすら読める方丈記 感想 平安末期のミニマリスト

スポンサーリンク

養老孟司の本に、方丈記のことが書いてあったので

ちょっと入門書を読んでみた

これが想像以上にすらすら読めて、内容の方には共感の連続だったのでちょっと感想をば

方丈=約4畳半

方丈記といえば「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」という最初の一文が有名だが

全文を読んでみると、作者の鴨長明の一代記を、上記の一文に帰結させるために整理した本という感じだ

方丈記の方丈とは、作者が最終的にたどり着く家のことで

作者が今現在の狭い家(方丈の家)にたどり着くまでの、物理的および精神的な動向が記されている

災害に満ちた人生

方丈記の第二部は災害についての話だ

安元の大火、治承の竜巻養和の飢饉元暦の地震立て続けに起こった大災害を

実際に現場で見た作者の視点から、生々しく描写していく

そのたびに栄華を極めた平安の諸氏は、作り上げてきた立派な建造物や立場をなくしていく

この状況から、大きな家や制度をあくせくと作っていく意味がどこにあるのか?という問いをなしていった結果

鴨長明は山の中に約4畳半の家を自分で建てて、貧しい世捨て人として暮らしていく

平安のミニマリスト

この文章を読んでいて、僕は下記の本を思い出した

経済成長や大規模なハードの整備に任せた日本経済に、強い行き詰まり感が漂っていた2000年代から、2011年の東日本大震災を経て

家を建てるのに、20年にも及ぶローンが果たして払えるのか?それで建てたとして、地震で壊れたらどうするのだ?

というようなある種当たり前の感覚から、小さい家に住み、自給できるものは自給しながら生活するライフスタイルに注目が集まった

これはまさに上記の方丈記の考え方とほぼ同じだ

(もちろん現代のミニマリストは世捨て人というような消極的なニュアンスはないが)

平安時代という太古の昔から今まで、日本人にそういった同じような思想が流れていったのか

はたまた、人間は同じようなことを繰り返しているのか

いずれにしても興味深い

ただ、安寧を求める

そして、この方丈の庵で、鴨長明が何をしているかというと

ただ、好きにしているのだ

一応、読経などをするけど、だるくなったら勝手にやめる

そして鴨長明は歌人だったので、四季のそれぞれの自然から有名な歌を思い出して、歌の世界に酔う

庵には琵琶と琴が置いてあり、上記の歌のインスピレーションを元に誰に聞かせるでもなく弾いていく

ただ、貧しいのは食べ物と住居だけだ

それでも、日々の仕事を全て自分でやって、長距離を歩いた鴨長明は

当時としては長命で老いても健康だったらしい

 

うらやましい話だ

鴨長明は神職の息子で生まれは悪くないのだけれど、歌を愛しすぎてしまったために

神職での要職を別に親族に奪われて、地位は得られなかった人らしい

だが、その代わりとして上記の心の自由を手に入れた

現代ではその自由を得る手段はいくらでもある

というより、経済活動や科学への信仰さえ捨てれば、いつでも自由になれる時代のように思う

その時代にあって、方丈記の示すところは非常に興味深い

最初の一文だけ、国語の教科書で読むだけでは本当にもったいない本だったんだなぁと思った

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。