捨扇 情景が浮かぶ季語

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2017年も3分の1の最後の月に入ってしまって

ソメイヨシノの開花予想が天気予報と共に流れている

先々週の週末に杏里さん(彼女)と少しはやめの花見に出かけた

野点

お茶会なんかで抹茶を作って出すことを「お茶をたてる」というけど

このたてるというのは、漢字では点てると書くらしい

おてまえも、お点前と書く・・・・

彼女は地元に帰ってから、小さいころに習っていたお茶の稽古を再開していて

地域の催しでよくやっている簡易のお茶席の手伝いなんかもしてるみたいんだけど

屋外でやる用のお茶のセットを自分で買ってもっている

屋外で抹茶を作ってやる茶会を野点といって

今回は花見の場所でシートを広げて模擬的にお茶を点ててもらった

時間がゆっくり流れる

僕はお茶の作法だなんだなんてのは、何も知らないから都度聞きながらやるんだけど

それでも、のんびりした時間を楽しめる

杏里さんの抹茶の入れ方が、上手なのか下手なのかわからないけど

杏里さんが一つ一つ丁寧に作業を行っていく作業(例えばお湯を先に茶碗に入れて捨てるとか)を

「あれはどういう意味だろうか?」なんて想像したり、たまに聞いたりしながら眺めているのは

早春の暖かい気候と相まって非常に心地よかった

茶杓の銘

茶杓という、抹茶をすくうのに使う竹のスプーンは、銘といって意味が付いているらしい

最近はこの茶杓というのは、洗って何度も使うものになっているけど

元々は使い捨てが一般的だったようで、その使い捨てのそれぞれに意味を書いてから使ったみたいだ

その意味は例えば「平安」とか「閑居」とか「若人」みたいな、相手との関係性みたいなモノもあるんだけど

よく使われるのは季語ということで

茶杓を使い捨てにしなくなった今でも、お稽古の時は茶杓の銘を都度決めていくことで

季語を覚えてお茶席に四季の間隔を取り入れる練習にしているようだ

手帳

杏里さんはお茶のお稽古用の手帳を持っていて

その手帳には、カレンダーに合わせて下の方にその季節の季語が書かれていた

手帳を見せてもらって、目に入った季語や読めない季語を

お茶を点て終わって、ゆっくりとお茶の道具を片付けている杏里さんに聞いている時に

一つ魅力的な季語に出会った

捨扇

捨扇は秋の季語で「秋になって不要になり、忘れて置き捨てられている扇」ということで

意味を聞いた一瞬で、僕の目の前に夏の終わりの縁側と、そこから続く障子戸が開け放たれた畳の部屋が浮かんだ

少し前に「この世界の片隅に」を見たからかもしれないし

日本家屋を使っているので有名な屋島のうどん屋「山田家」に行ったからかもしれない

でも、僕は今まで全くそういった和風の家には住んだことないし

おばあちゃんの家に年に1度伺うかどうかなのに

そこにある透き通った青みがかった生活感が匂いのように知覚できた、本当は春うららなのに

気候的に早春と晩夏は似ているといわれているけど、本当はこういうことなのかと実感した

季語っていうのは不思議なもので、扇というモノのことを表しているはずなのに

実際は、それを取り巻く環境まで想像できるから、非常に奥ゆかしいものだ

しかもそれは、それぞれの人のコンテクストを反映して、それぞれにまったく別の世界を作ってしまえる

同じ場所を共有する限り

なんでもかんでも、パフォーマンスとしてとらえたがるのは

最近の僕の悪いくせのように思うけど

同じように季語を使用しても、情報として残っていく俳句と違って

お茶会はまさにパフォーマンスのようだ

まったく別のコンテクストを持つモノ同士が

同じ場所と同じ環境を共有することで、リアルタイムで想像を自由に飛び回らせる共同体を構築する

やはり、未知子さんがよく言うように、日常とパフォーマンスとは、元は一つながりだったのだろうと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。