一億総自主規制社会
この言葉は、ビートたけしが著書で昨今のテレビの状況について書いた言葉らしい
[amazonjs asin=”4098252929″ locale=”JP” title=”テレビじゃ言えない (小学館新書)”]結局、こういう「右にならえ」の一斉外しという対応は、企業側が「コンプライアンス」だの「モラル」だのいくら言い訳したって、つまるところは「トラブル回避のための自主規制」でしかない。
要はCMスポンサーに降りられたり、「何でアイツを使ってるんだ」と世間から袋叩きに遭うのがイヤなだけなんだから。それって、クラスでのイジメを見て見ぬフリしてる気弱な中学生と変わらない考え方だ。タレントを早々に降ろして「リスク回避できた」みたいに胸を張るのは、何か違和感があるんだよな。
(テレビじゃ言えない より)
僕はこれについて日本が
村の中でだけ通用していたような無意味な風習がネットの影響で混ざり合ったことによって
ニーチェの言うところのルサンチマンを拠り所にして
同調圧力を教祖にした一神教を作り上げてしまったことが原因ではないかと予想している
ルサンチマンとは?
辞書を引くと「弱者が強者に対して持つ鬱屈した感情」と書いてある
この言葉はニーチェがキリスト教の分析によく使用した言葉で、「奴隷の道徳」なんて呼んでいる
例えば、「利己的」という言葉がしばしば悪い意味で使われているが
お風呂に入ったり、おいしいごはんを食べたり、自分にとって気分の良くなることをすることは悪いことではないはずだ
本来、悪い事というのは「害他的」であることのはずなんだけど
社会的な弱者は「利己的」なことを制限されていて、「利己的」なことをしている人を羨望する
この羨望こそが「ルサンチマン」であり、社会的弱者はそれを解消するすべがない
そこで「利己的」な事を悪い事として拡張する考えかたが出てくる
この「害他的」と「利己的」を意図的に混同する教えが、「奴隷の道徳」とでも呼ぶべき考え方で
それを利用して大きくなっているのがキリスト教であり一神教だというのが、まぁかなりざっくりしたニーチェのキリスト教分析
多神教の国
日本は多神教の国だと言われていること、これは間違いないと思う
しかし、だから一神教やルサンチマンと無縁かというとそうではなくて
極端な成功した社会主義でない限りは、ルサンチマンは常に存在しているはずで
ただ、国をまたいで外部を侵略していくことが常だった他の国に比べて
日本は江戸時代という比較的近世に長い間平和な時代を経ているので
それが、村の風習として地域に固定化されていったんだと思う
大きい一神教にならないように、小さな一神教がたくさんの地域に固定化させているという意味では
日本は確実に多神教だったと思う
SNSはルサンチマンのゴミ箱
その多神教の国が、ネットの影響で一神教になってきていると思う
2chやらtwitterなんてのは多くの人にとってはルサンチマンのゴミ箱でしかないだろう
それは末端の現象だけど、ネットによって地域に固定化されていたルサンチマンが集まってしまって
同調圧力という教祖を持つ一神教として、大きな影響を及ぼしだしてしまっていると思う
別に一神教自体は世界でも珍しい事でもないし
それ自体は問題ではないと思うけど、問題は日本人が一神教の扱いに慣れていないことだと思う
同調圧力原理主義
要は多くの日本人はそれを一神教だとは思わずに、真理かなにかだと思っているのだ
欧米諸国の多くの人は一神教という考え方自体に慣れているので
それぞれの考え方や神が違っても、なんとかやっていく訓練を小さいころからしているだろうけど
それがなかった日本人の多くは一神教を持ちながら他者を認めていくことが不得手なんだと思う
不得手が行きつく先は、一種の原理主義だろう
養老孟司が2003年の「バカの壁」以降、著書でたびたび日本人は一神教に近づいていることと
原理主義への嫌悪感を述べているが、それは依然として正しいのだと思う
[amazonjs asin=”4106100614″ locale=”JP” tmpl=”Small” title=”死の壁 (新潮新書)”]同調圧力に踊らされる
それで真理を得たと勘違いした一般大衆が芸能人に不祥事での一発NGを出したりする
だいたい不倫したとか個人の話だし、犯罪は警察が取り締まればいい
それを真理の代弁者のようにネットで叩いて正しい行いをしたように錯覚しているのは、膨らんだルサンチマンに他ならないと思う
百歩譲って、芸能人はテレビに出て発言できる影響力があるから、それをどうこうしたいってのはまだありとしよう
それが、笑っちゃう話だけど、僕のような社会に対して大した影響もない人間のツイートやブログに対しても似たような反応をする人がいる
そういう人はだいたい「公の場で根拠のない事を言ってどういうことだ!?許されると思っているのか!?」
って言っているんだけど、それが問題になるのは犯罪が絡んだり、もっというなら実害が絡む場合だろう
僕は事象の「構造」とか「因果関係」にしか言及しないし、中傷したいときも「感想」という形でしかしないから
僕のもともとの社会に対する影響力を考えても、相手に実害になることなんてないのよね
だから「こういう被害を受けた!!」って論理的に返すことが出来なくて
ルサンチマンが見え透いてくる、滑稽な反応しかできないんだろう
地方の奴隷化
この「奴隷の道徳」は地方のほうが浸透しやすい
なぜなら、地方はもともと日本全体がちりぢりに持っていた「小さい一神教」をよく残しているからだ
その一生を地元で終えるおじさん、特に高卒の現場作業員の世界には
明らかにルサンチマンの賜物としか思えない、はたから見たら無意味なしきたりがたくさんある
ネットの発達で、地方のそういったしきたりは消えて搾取がなくなるかと思ったら
若い世代のルサンチマンを肯定して、とらえにくい同調圧力の中に、彼らの神が経済活動であることを隠しながら
地方を奴隷化することになってしまった
二次元の仮想アイドルゲームに何十万も課金する
同調圧力ばかり強調した萌えアニメに入れ込んでDVDやグッツを買う
「会いに行けるアイドル」に影響されて、それと似たような服装をする
プロデューサーが作った曲を演奏させられている若いバンド兄ちゃんのことを「すげぇすげぇ」って言って曲をダウンロードする
そのすべての金がぶっさいくなおじさんが豪遊したり、女で遊ぶ金になる
地方ではこれまで「しきたり」で奴隷になってきた文化が残っているから、簡単に若者が奴隷になってしまう
それをやめさせようとして、地方に移住して活動していくおもしろい活動家が増えている
そういう流れなんだろうと思っている
僕みたいに地方で活動している人は
その極端な都市化と地方化の流れの中にいるっていう文脈で物事をとらえてみると
結構いろんなことがクリアーになる気がする
コメントを残す