平田オリザにどはまりした影響で「異文化理解能力」に興味がある今日このごろ
ハーバード大学で日本史の授業をしていた経験もあるらしい著者のこの本を読んでみた
異国のヴィジョン 世界のなかの日本史へ 北川智子
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ヨーロッパ旅行と想い出が錯綜するエッセイ
目次を見ると、アムステルダムやパリ、ウィーンなどの著名な地名が出ていて
そこら辺の歴史認識とかをバリバリ書いていくのかと思っていたら、ちょっと違っていて
著者がその土地に訪れた際に、その都市が持つ気風やそこでの経験から思い起こされた、過去の出来事をつづっていく
今現在の旅行先も過去の想い出の地も、どちらも日本ではないからだと思うんだけど
今話されているのがどっちのことだかちょくちょくわからなくなったりする
その錯綜する感覚が結構心地よかったり・・・
時はランダムという概念の象徴である
それがある種、著者の歴史への取り組み方の現れというか
たくさんの国が入り交じって生活することになった現代で
歴史は不変のものではなく、常に流動的だから(元々そうなのかもしれないけど)
歴史を過去として固定することなく、過去も現在も未来もランダムに錯綜するものとして捉え直して
歴史を通して、何を見て、何を作っていくのか?ということが必要ということを、エッセイの文体までも使って表現しているようだ
マルチカルチュアリズムという理想
そんな風に歴史を考える上で重要になってくるキーワードが「マルチカルチュアリズム」
さまざまなバックグラウンドの人々が、ひとつの場所で共存していく。その際に必要な国際理解と、共に繁栄を願う考え方を「マルチカルチュアリズム」と呼んでいるらしい。
(異国のヴィジョン 北川智子著 本文より)
著者の思い出の回想で出てくるバンクーバーであっても、それが完全に成し遂げられていることはなかったようだが
「あるべき理想」つまりヴィジョンとしてそれが共有されていることで、様々な軋轢を回避出来ていたようだ
あるべき理想とはよく言ったもので
この考え方が尊いのは今の僕なら実感として理解できるが
日本の田舎で日本人に囲まれて暮らしていてはなかなか身につく感覚ではないだろう
それならお前もハーバードかバンクーバーに行けという話だけど、金銭的に誰もがそこに行けるものでもない
だから、演劇や現代サーカスやアートの価値は高いのだろう
本当の意味での「グローバル化の波に取り残される」とはそういう感覚の欠如から始まるのだと思う
ヴィジョンの持つエッセンスとはなんなのか?
この本の面白さはそこだけでは終わらずに
例えばこのマルチカルチュアリズムのような「ヴィジョン」と
「前衛的な発想」とを分けるモノはなんなのか?というようなことにも言及していて
ヴィジョンが持っているエッセンスとは?という問いにも1つの答えを出している
興味がある方は是非読んでみていただきたい
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