こんにちは
高知、四万十町在住パフォーマーの松葉川健一です。
お蔭さまで夏はたくさんの祭りでのパフォーマンスのご依頼をいただいております。
今日はそんな中で僕が感じていることをのんびりと書いてまいります。
大道芸1年生
僕はもうジャグリングを初めて11年目に入りますが、
はっきりと「大道芸」と銘打って活動を始めたのは、今年からになります。
これまでは、路上で自分の芸を評価してもらって、その分お金をいただくというよりも
自分自身のパフォーマンス欲に任せた活動が多かったので、
他分野のパフォーマーさんとのコラボレーションをしていたり、
一人でショーをするときも、人づてでパーティーのようなクローズな場所でやっていて(今もそれが多いですが)
その場に来たお客さんに、投げ銭という形でお金をいただくことはほぼありませんでした。
鬼門投げ銭トーク
そこで難しいのが、俗にいう「投げ銭トーク」です。
この投げ銭トークは絶対に必要なことではあるのですが、ある種、俗っぽさとのオフセットになります。
特に2018年現在の日本においては、戦後の日本で醸造された実際のマテリアル(もの)以外にはお金を払わない、
そこにお金を発生させようとするのは、一種の詐欺かなにかだと思われている文化の残り香があるので、
投げ銭トークのイメージと芸人本人の人格が変な形で混同されやすく、
芸人のイメージ自体にとても大きく影響を及ぼすことになってしまいがちです。
分けているので・・・
世界観をしっかりと作る芸人さんほど、投げ銭トークのイメージとのギャップが開きやすいように思います。
僕の場合はそこはある程度あきらめているというか、
明確に世界観を作るパフォーマンスと大道芸を分けてしまっていて、
もちろんある程度相互に影響ががあるのですが、大道芸はある程度俗っぽくやってしまおうと思っています。
言い換えれば、世界観を作るパフォーマンスはもともと僕がメインフィールドにいていた舞台とか
他分野のパフォーマーさんとのコラボレーションの時に出せばいい、と思っているともいえます。
大道芸を見に来たお客さんが、そこまでの世界観を求めているのか?そういう疑問もありますし、
なにより、そのオフセットを気にしてお金を稼げないと僕のパフォーマンス活動自体の持続性に関わります。
僕の投げ銭トーク=握手
しかし、もともとやってこなかったこともあって
「もし、いいなと思ったお気持ちがありましたら、それを形にしてこの帽子の中に、
出来るだけ小さく折りたたんで、出来るだけ小さく折りたたんで、入れてください」
というような(こういう典型的なのを今の芸人さんがやっているかはわかりませんが)トークは結構抵抗がありました。
加えて、僕の最も尊敬する(ファンだともいいますが)大道芸人さんである加納真美さんが
投げ銭のときに入れてくれたお客さん一人ひとりと握手をしていたのが、とても印象的だったので、
「僕の演技を見て、少しでもいいなと思っていただいた方は、僕と握手をしてください
(帽子を持ち出して)なんとなくわかりますよね?もちろんただ握手していただいてもいいんですよ」
という感じで暗に示すようなトークを行っています。
握手という行為
このトークは、お客さんに僕の前まで来てもらわないといけないので、
パフォーマンスを見ているお客さんの場所にも結構制約されるのですが、(イベントでもディナーショー状態の場所ではお客さんが動いてくれないなど)
実際やってみると、握手という行為がとても僕にとって意義深いことがわかりました。
まず、それぞれの人の経験の蓄積のようなものが感じられます。
お祭りなんかでは、お子さん、親御さん、祖父母さんと、3世代がいらっしゃることが多いのですが、
次々に握手していると、手の水っけや皺なんかもそうですが、それ以上にその人の経験のようなものの差が伝わってきます。
それはかなりスピリチュアルよりの感覚なので、言葉にしにくいのですが、
ほわっとした安心感と共に、その人の積み重ねてきた何かに僕の感覚が薄く重なるような感じです。
あえていうと、僕はお年を召した女性と握手するのが好きなようです。
小さな共有感覚
次に気持ちが伝わっている感覚がとても強いです。
僕は、この四万十町へきて根をはろうと思っていて、地域おこし協力隊という仕事もしているので、
四万十町に住んでいる方々には「よろしくお願いします」という気持ちが等しくあるんですが、
ショー中にマイクを通していってみても、個々の人にまで伝わっている実感はありません。
それが握手の場合は、しっかりと目を見て、手を握って体の感覚を使って相手のリズムに合わせて、
「よろしくお願いします」と言うことが出来ます。
実際伝わっているかどうかは聞いていないのでわかりませんが、
優しい共有空間が出来ていることは間違いないと思っています。
それがとても尊いというのが最近僕が思っていることです。
僕はおばあちゃんと握手するのが好きなんだなと
特に、お年を召した女性と握手したときは、前述の経験値の感覚を感じた瞬間自動的に
「これからあなた方が根を張り作ってきた土地、コミュニティで僕も生活させていただきます、よろしくお願いします」
という気持ちのこもった「よろしくお願いします」が出ます。
こんなにも穏やかな感覚僕は持っていたんだなぁって思います。
握手っていう行為は、昔から政治家さんの合意のためとか、最近ではAKB商法の一つの手段とか
一種の記号として消費されているようですが、本当にもったいないと思います。
身体感覚を伴う歩み寄りは本当に尊くて、オフグリッドな生産を行うのにもっと使われればいいのにな、
僕はどんどん使っていこう、と思う次第です。
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