フィアンセの地元に移住しました

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気がつけばフィアンセの地元にいた

今日、新しいアパートに荷物を運び込んで

これまで住んでいた、愛媛県四国中央市から

フィアンセの地元である、高知県高岡郡四万十町、旧窪川へ移住した

今月、やたらと旅行に行っていたり

1週間にもおよぶ瀬戸内サーカスファクトリーのアートトレーナー養成講座(以下養成講座)を受けたり出来たのは

前の会社の有給休暇消化期間だったからだ

思えば、去年はいくつか僕の人生において示唆的な事が起こって

気がつけば、本当に信じられないくらいとんとん拍子で移住まで至っていた

来月になれば、次の仕事が始まってしまう

去年から制作を続けている2月17日開催のイベント、おつとめも大詰めになる

その前に、ここまでの少し不思議な道のりと、僕が今思っている事を書き残しておこうと思う

おばあちゃんについて

今年の前半は、5月に亡くなったおばあちゃんについて2つの記事を書いた

不思議

それまで、恐らく2年以上会っていなかったおばあちゃんに

今年はなぜか2月に会いに行っていた

違う用事もあったんだけど、なぜか会いにいかなければならない気がして

本当になんとなく行って、会ったおばあちゃんも僕が想像していたよりはるかに(精神的には)元気で

体力的には弱っているおばあちゃんに寄り添う技術がほしいと思って、介護職員の初任者研修を受けたりもした

初任者研修記1 メーカー社員の僕が介護の資格を取りだしたわけ

それが、その会った1ヶ月後おばあちゃんは転んで足を骨折し

さらにその1ヶ月後には亡くなってしまった

僕にとってのおばあちゃんは、最後までいつもの

「なんでも、婿にいくんだって?すごいね、思い切ったね!愛する彼女のために」

なんて言ってくれる、昔気質で自分自身にストイックすぎるおばあちゃんのままだった

おばあちゃんは今でも僕の心の中に強く息づいている

人はいつか死ぬ、僕にもし、子供が出来たら、僕は下の世代の中で息づいていけるだろうか?

そんなことをふわふわと感じていたのを覚えている

婚約

そして後半、9月に婚約した

大学1年の時に付き合いだしてから、もうまるまる10年になってしまった

3万くらいの指輪で婚約したよ

でも、僕もフィアンセも焦りがあったとか、義務感があったとか、そういうのは全くなくて

僕は純粋にフィアンセを喜ばせたかった

だから、去年の初めに婚約指輪を買って、それをこんぴらさんのお守りの中に入れて

毎日毎日、自分なりのやり方で祈って、同時に自分自身の心の整理をしていた

それが実際婚約してみると、自分では意識してなかったんだけど、僕自身が結構変わってしまっていたようだった

だいたい僕はずっと四国中央にいるつもりだった

前の仕事はそこまで嫌いではなかったし

瀬戸内サーカスファクトリーとの活動に関わらず、パフォーマンス活動をするには

四国中央市という立地はなかなか好都合だった

僕は別居婚を本気で考えていた(実際信頼している何人かにはそういう話をした)

子供に興味がそこまで持てなかった僕は(今も基本的にはそうだけど)

子供が生まれても、フィアンセとフィアンセの親でなんとかしてもらいたいと思っていた

それが、どうしたことか婚約を機に僕は明らかに移住に向かって舵を切っていた

身体の喪失

一昨年の終わりから僕は、映画監督の押井守と解剖学者の養老孟司に傾倒していた

イノセンス見よう(凡人として生きるということ [押井守著] 読了)

情報が溢れている社会に晒されることで

人間の身体は全て情報で定義されてしまう

本来は、身体が受信して発信する膨大な無意識の感覚や表現の中で

偶然情報化しやすかったごくごく一部を情報化しているだけのはずなのに

あまりにも情報が増え、価値が増大する中で人間のほうが情報の身体に合わせてしまって

本来の身体の大部分を失ってしまうのではないか?

そういう言説に僕は深く共感し、類似したテーマの本を漁っていた

そんななかで、劇作家の平田オリザを入り口に、社会学に大きな興味を持っていく

異国のヴィジョン 感想 マルチカルチュアリズムに近づく

共同体の喪失

社会学の中で僕が強く興味を持ったのは、共同体についてだ

2004年にあった前述の押井守と、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫の対談で

「家族」について話される一幕があった

鈴木敏夫曰く、今の形態の「家族」というモノが出来上がったのは、研究者によると室町だという

その前は通い婚だったりして、今崩壊が叫ばれているような家族の形が必ずしも正しいわけではなかった

それが、時代が変わって。社会のシステムも急激に変わっていっているんだから

家族の形が変わったり、新しい家族の形を探すのは至極当たり前の事だ

といった内容だった

つまり、家族という言葉に代表される共同体というモノは時代によって様々な形があり

それは社会の仕組みに強く影響されるモノということだろう

僕はまさに、自分自身が共同体を失った人間だと思った

僕は両親の教育に全く文句はないが

僕の父親は結構な企業の会社員だった

父は仕事の関係で父親の地元からは車で7時間程度かかるような地域に永住することになる

僕の地元だ

しかし、地元と言っても僕は地元の友達なんかは数えるほどしかいないし、数人を除いてあえて連絡を取ろうとも思わない

どんなに母親が頑張ってママ友とコミュニティを築いていても、僕はその場所の共同体とは距離を置いていた

頑張っていても、母親は母親の地元の共同体のルールが染みついているからだ

父親の稼ぎがあるから、それでも十分生きていける

経済成長とか生産の効率化とかそういう企業努力は、企業に依存した群衆をうみだし

地域の共同体を空洞化させる作用があると思う

僕は幼体成熟に魅力を感じる

だから僕は生まれたときから大人になることが出来ない「幼体成熟」が出てくる作品に大きな魅力を感じる

堕天作戦3巻発売! 幼体成熟というSF

それは、まさに僕自身が幼体成熟だからだ

地域の共同体を失った僕は、その共同体のルールには一生染まれない

つまり、その地域の中では大人になれないんだ

ある意味では僕は一生子供のままだ(もちろんその時代のその地域のということだけど)

でも、その状態を押井守の映画は肯定してくれる

身体を失い、これまでのルールの中では大人になれない人間には

そういう人間なりの新たな人間性や共同体の獲得があるのではないか?

脳以外の全身が機械である主人公が、ネットの海から生まれたプログラムと融合する

そんなストーリーの攻殻機動隊第一作から、僕はそんなメッセージを見いす事が出来る

木のようになりたい

僕は新たな人間性や共同体を獲得せんがために移住に舵を切っていたと思う

昨日まで1週間に渡って参加した養成講座ではそれを「木のようになりたい」と表現した

地域に根を張り、その場所の文化を吸い上げて、一歩一歩積み重ねることで

新たな共同体の獲得に向けて活動していきたい

瀬戸内サーカスファクトリーの活動に参加させてもらいながら

大きく、人の心を動かすようなビックピクチャーを実現するためには

新たな共同体の構築が必要不可欠だと強く思うようになった

それは人も情報も飽和してしまっている都会ではなく、むしろ地方にこそ活路があるはず

そんな想いを漠然とではあるけど徐々に積み上げていたので

地域おこし協力隊の募集に応募することにした

導かれるままに

9月に婚約して、募集を見て応募したのが10月

そして11月には面接して採用が決定し、12月には仕事を辞め、有休消化が今現在だ

自分でびっくりするくらいとんとん拍子で物事が動いて、今フィアンセの地元でこの文章を打っている

極めつけが、先ほどから出ている昨日まで参加した養成講座だ

講師のギヨームベルトランさんには本当に色々ことを教えてもらった

ギヨームさんはアクロバットのアーティストだが

身体の動きに関する哲学と生き方の哲学がリンクするように教えてくれる人だった

僕は即興でルールに従って自由に身体を動かすインプロには前から苦手意識があって

今回の養成講座でも最初は同様に苦手意識があるままやっていたのだが

極めてうまく誘導してくれることで、その苦手意識を克服させてもらった

ギヨームさんからのアドバイスを最終的な解釈で言うと

「目的の方向を決めたら、そのアクションを絶対にためらわない、その方向を見失わない

ただし、その途中で面白い動きがあったらそれを拡張させたり、偶然にアクシデントがあったらそれを積極的に利用する

やるアクションを決めたら、ためらわずに寄り道もアクシデントも最大限楽しむ」

ということだった

実際僕はその到達点へと徐々に徐々に誘導されることで、ある1回のインプロからその寄り道が信じられないくらい楽しく感じた

アクシデントや偶然を受け入れることで生み出される身体の動きが楽しい

自分の定めた方向性の中で思わぬ形で拡張されていく表現が新鮮で尊い

僕は自分の身体を取り戻す喜びを教えてもらった

身体にはやはり、膨大の無意識の世界が存在する

その時に、ふと僕はそれよりも3日ほど前にギヨームさんが冗談で言った言葉を思い出した

「あなたは仕事を辞めてジャグラーをやると決めたんだから、ジャグラーであることを辞めないでください」

僕はそこへ行けるだろうか

偶然を楽しむ

実際、勤務が始まらないことにはこの後どうなるかなんかわからない

この地域になじめるかもわからない、事実僕は前の会社があった四国中央市が大嫌いだったし

でも、僕はもう寄り道を楽しめる、偶然に身を任せて自分の身体が拡張していく喜びを知っている

僕の信じる方向を見失わないように

気負いせずに一歩一歩進んでいきたい

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。