非暴力コミュニケーションを学んでみる

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こんにちは、四万十川のほとりに住むサーカスアーティスト、松葉川健一です。

ここ1週間ほど、2冊の非暴力コミュニケーションの本を読みました

この2冊は非暴力コミュニケーションを体系化したマーシャル・B・ローゼンバーグ博士の本です

非暴力コミュニケーションについては、これまでなんどかタッチしていて

会社員時代に、ビジネス書になっているものを軽く読んで全く参考にならなかったのと

それはコテンラジオの影響でガンジーに心酔したときに軽く目に入ったのと

あと、サウナを買ってくれた方が非暴力コミュニケーションの動画をyoutubeにあげているのを見たのですが

割と、当時の僕は一種の宗教じみた感触を受けたので、少し納得しつつそれ以上学ぼうとは思いませんでした

しかし、先日、瀬戸内サーカスファクトリーのソーシャルサーカスの指導者養成ワークショップを受けた中で

フランスのソーシャルサーカスの国家資格を取るためのカリキュラムを持っている学校から来ているフランス人講師の方が

ワークショップの中で、非暴力コミュニケーションについて半日ほど費やして教えてくれたので

調べて、本を読んでみようと思って読みました

自分や相手に起こる様々な感情、それは特に対立が起きているときによく「相手のこの行動が原因でこれが起きた」と解釈してしまうのですが

実際は、相手は自分を刺激することはできても、感情の原因になることはない

同じ環境で同じ言葉をかけられたとしても、それによって腹が立つ人もいれば、喜ぶ人もいるのは

それがそれぞれの体、特徴、精神、心、育ってきた文化が異なっているからで

つまり、感情は相手の言動が原因なのではなく、自分の中から湧き上がってきているものなので

感情とそれに伴って満たしたい「ニーズ」も自分の中にある

ただ、何千年も昔から今も行われている教育はこの自分の感情や「ニーズ」に注目せずに、なんらかの道徳的な規範にそぐわないこと(相手の行動やキャラクター)が原因になって問題が起きていると錯覚させてしまう

そうなると、お互いの正義がぶつかってしまって友人同士のような小さいところから国同士のような大きいところまで紛争を止めることができない

こういったところ(あくまで僕の解釈ですが)に大きく共感して、日常に取り入れることにしました

主に息子の一穂さんとコミュニケーションをするときに、一穂さんの感情とそれに伴うニーズに注目するようにしたのですが

そうしてみると、一穂さんと杏里さんが揉めているときのコミュニケーションはよく「道徳的」であるような気がしてきました

自分と相手が何を求めてしているかを共感によってすり合わせて、杏里さんがこういう思いを感じるからこうしてほしい、というような具体的なことを伝えるのではなく

こういう時はどうするべき?というような道徳・社会性に照らして示唆することが多く

僕や杏里さんがよくなぜもめるのか、原因の一旦がつかめたような気がしました

このまま続ければ、僕と杏里さんと一穂さんは懲罰による示唆を超えることができそうな気がしています

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ABOUTこの記事をかいた人

四万十町在住パフォーマー 大学卒業後製紙会社に勤めていたが、移住を機に地域に根を張るパフォーマーとして生きていくことを決意。 2018年現在地域おこし協力隊として働きながらパフォーマーとして生きていいく道を模索中。 詳しいプロフィールや出演依頼などはメニューから各項目を参照ください。