古本屋で、面白そうな言葉が目に入って買ってみた
デジタルデトックスのすすめ「つながり疲れ」を感じたら読む本
[amazonjs asin=”B00ICHRO3Y” locale=”JP” title=”デジタルデトックスのすすめ 「つながり疲れ」を感じたら読む本”]デジタルデトックスのすすめ
僕はデジタルデトックスという言葉を初めて見たんだけど
見た瞬間、「ネット依存脱却法」か「電磁波健康被害啓発本」のどちらかだと思った
デジタルという言葉を電子機器だと思っている人が書いているとしたら後者になるだろうけど
さすがに情報を仕事にしている人たちの間ではやっている言葉らしいので、前者だった
ネットすることが一般的になったことによって生じる、同調圧力や強迫観念を意識して
意図的にそこから距離を置いていく方法
その概念と有効性について、googleなんかが会社でやっている例なんかも挙げながら説明してから
実際に著者が心理学者やデジタルデトックス推進者の意見を聞きつつやってみた方法と所感につなげていく
のんびり読んでも2時間もあれば読めてしまう感じの本だ
修行と身体
実際に著者がやってみた事は、瞑想や滝行のような修行的なイメージの物が多い
アップルのスティーブジョブズが禅の精神の信望者だったのは有名だけど
修行的なモノは強烈な刺激で、意識をぶっ飛ばして、自分の身体で感じることに重きが置かれている
要は修行によって、身体を取り戻そうとしているんだと思う
養老孟司
養老孟司が新書の「バカの壁」のヒットのあと
いろんな人から「じゃあどうしたらいいんですか?」と聞かれて困ったと言っていた
その質問自体が本の内容を理解していないということだ
養老孟司が本当に言いたかったのはインタヴューを書き起こした「バカの壁」ではなく
自信の文章で書いた「唯脳論」のほうなのだ
[amazonjs asin=”4480084398″ locale=”JP” title=”唯脳論 (ちくま学芸文庫)”]これは題名で「すべての事は脳が決めている」という内容だと勘違いされやすいんだけど
本当は「すべての事は脳が決めている、と思い込みやすいけど、実際は我々は身体も持っている」という本なんだ
だから、養老孟司が上記の質問に出した答えが「都会人はとにかく田舎で自然に触れる時間を作れ」
デジタルには入ってこないノイズだらけの自然を強制的に感じる田舎に行って、身体で感じることを取り戻せということだ
押井守
脳と身体ということであれば、最近ハリウッド映画化した漫画攻殻機動隊の
元祖アニメ化監督である押井守も同じような考えがあるような気がする
[amazonjs asin=”4062205092″ locale=”JP” title=”攻殻機動隊 DVD BOOK by押井守 GHOST IN THE SHELL (講談社キャラクターズA)”]攻殻機動隊は義手や義足の技術の発展により、義体と呼ばれる作り物の身体が普及した後の世界だ
脳だけを義体に移植して、既に身体を失っているはずの人間が生きていられるとしたら
それは「すべての事は脳が決めている」状態ではないか
SFの設定という極端な想定を使って、身体を失いつつある現代人の
身体を失ったゆえの生き方の可能性はあるのか?
攻殻機動隊とその続編である「イノセンス」はそういう作品だった
先見の明?
養老孟司の唯脳論の発刊が1998年、押井守の攻殻機動隊の公開が1995年ということで
この2人は、まだネットがここまで普及する以前、ネットで言えばBBSとかの時代にこういう主張をしていたことになる
2人に先見の明があったということなのか、既にあった唯脳論がネットで加速しただけなのか
いずれにしても、脳と身体という考え方は非常におもしろい
芸術がパフォーマンスに近づいていったり
名のあるブロガーが田舎にいたりするのもこういう理由があるのかもしれない
僕の知り合いのパフォーマーが「滝に打たれて来い!」ってやたら言ってたのも
「身体を取り戻してこい!」って言いたかったのかもしれない
唯脳論を読破してから、滝に打たれるのを見出すのは非常に難しいけど
デジタルデトックスという概念を入れると、すんなり理由として入ってくる
結構おすすめの一冊です
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