世の中はゴールデンウィークで浮足だっているようですが
高松で、この2017年のゴールデンウィーク明けから始まる、おもしろい公演があるので
なかなか紹介が難しいのですが紹介してみます
カタタチサト新作公演「ぬぐいぬち」
詳細は下記ホームページを参照してください
正直下記ホームページがとてもしっかりとしているので、今回は僕の所感中心ということで・・・
高松在住のダンサーさん
瀬戸内サーカスファクトリーの「キャバレー」や「カミーユボアテル成果発表」などに出演し
高松市の派遣事業「芸術士」としても活動している
カタタチサトさんの四国に来てからの初のソロ公演
一応、去年の瀬戸内サーカスファクトリーのサーカスフェスティバルでは
同じ「実験劇場」という地元パフォーマーの発表の場で出演したけど
サーカスファクトリーに関係する地元パフォーマーの中で、最もアート寄りかつ実力派と思しきお方
そのカタタさんが、高松にゆかりのあるアーティストを集めて作品を作るということで
四国のパフォーマー大注目の公演です
ぬぐいぬち IN RESIDENCE
この「ぬぐいぬち」は高松の瓦町駅のすぐ近く、いろは市場跡地で公演をするんだけど
公演前の5月11日からカタタさんをはじめとしたアーティストが、実際にいろは市場跡地がある高松に滞在して制作を行う
アーティストインレジデンスの方式をとっている
しかも、この滞在制作は公開稽古も兼ねていて、期間中いろは市場の扉が開いていれば、誰でも中に入って見学することが出来る
僕みたいにパフォーマンスをやっている立場からしたら
作品が難解に見える人であればあるほど、どうやってその作品を作り上げているのか非常に気になるところ
まだ始まっていないからわからないけど、その一端は見れるのではないでしょうか?
複雑性を受け入れること
僕が創作パフォーマンスを初めてからよく感じているのは
「物事一つとっても、単純なモデルでは表現しきれない」ということです
世の中の物事を、なるべくシンプルなモデルとして切り取って整理していくことは、世の中を便利にしていくだろうけど
その便利なことは果たして豊かなことなのか?
僕たちを楽にしてくれるはずのシンプルなモデルが、あまりにもその表現型があふれることで
僕たち自身がシンプルなモデルにはめ込まれて、生き物としての柔軟性を無視してしまうことがあるんじゃないか?
複雑な物事を複雑なまま表現していくことで、文章にできない何かが生まれるのではないか?(文章もシンプルなモデルでしかないのだから)
そういうことを考えます
そして、カタタさんの迷いのない作品を見ていると、そんな思いがあながち間違ってないんじゃないかと勇気がもらえるような気がしています
開かれた扉
ぬぐいぬちは、いろは市場という劇場じゃない空間を使って、しかも自由料金制ということで
誰にでもその扉を開いています(作品の性質上子供は入れないんだったかな?)
中四国、関西のパフォーマー、アーティスト、そうじゃない方も
公開稽古も本番も、どちらかだけでも
いろは市場跡地でのカタタチサト新作公演「ぬぐいぬち」へ
創作パフォーマンスを感じに行きましょう
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