再び新書を読む
ケンブリッジ数学史探偵
北川智子
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ハーバードで日本史を教えた著者の新作
カナダの大学で幾何台数と生命科学を専攻後、大学院では歴史学に転向
プリンストン大学で博士号取得後すぐに、ハーバード大学でカレッジフェロー(カレッジ所属の学者)として日本史を教えて
その教えていた3年間連続でティーチングアワードを取得という
なかなか華々しい経歴の著者のケンブリッジでの研究内容の普及本
元々数学を専攻していた著者が、日本史で有名になった後の仕事「数学史」を通して見せる世界とは?
普遍性を求める数学から世界基準の歴史の形を模索する
少し前、同じ著者の「異国のヴィジョン」という著作を読んだ
この本の骨子は「マルチカルチュラリズムに寄って世界を俯瞰しよう!」という感じだったが
今回の本も形は変えても同じ骨子のように見える
数学という標準化言語とでも呼べるモノを通した歴史
特に、17世紀の日本の事例、西洋の事例、中国の事例を紹介し
文化の多様性を保ったまま、境界が曖昧になっている世界で通用する学問の形を説いていく
グローバル社会で生き残れないと騒ぎ立てて、TOEICの点数が全ての免罪符であるかのような報道とは一線を画す感じ
世界基準でモノを考えるってことが、どれほど複雑で魅力的なことなのかを考えさせられる
算額
この本の中の17世紀の日本における数学史の章で、僕にとってとても魅力的な言葉が出てきた「算額」だ
「算額」は大きな板に数学の問題を記して神社仏閣に奉納したもで、現存するモノもあるらしい
それも、答えを明記したものだけでなく、答えがなく問題のみを掲げた「遺題」というものがあったらしく
広く民衆に問題を提起して、その答えが出版されたりすることもあって
知識の共有と論議が行われる「知識の生成の場」としてセンセーショナルに機能していたらしい
算額=ブログ?
僕はこれを読んでいて、最近お世話になっている丸亀のお寺「善照寺」を思い出した
お寺の住職、副住職の兄弟であり、かつ二人ともパフォーマーである「善照寺ブラザーズ」のお二人
上記のようにお二人ともブログを運営しており、プロのブロガーとも交流が深くブロガー合宿なんかもしている
そのため、権威とは遠くとも「しっかりとした思想と主義主張」を持っているブロガーという人種の問題提起を意図してか意図せずか、集約しているようにも見える
僕はその様子が算額と似通っているように思う
さらに、そこから違った形の教室やイベントにつながって、市民の実践の場としても機能できる包容力は
お寺の持つ役割の1つでもある気がするし、昔から変わっていないのかもしれないね
かくいう僕も善照寺で1つイベントを企画中だし
がんばっていこーっと
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