僕の音楽事情
僕は高校生の時にジャパメタにはまって、高校の時は本当にメタルばっかり聴いていたんだけど
大学生になってジャグリングを始めてからは、ジャグリングの演技に使えそうな曲ばかり聞いていた
演技用の曲もジャンルの変遷があって
最初はいかにもショーって感じのイージーリスニングとかクラシカルクロスオーバーとかだったのが
少し気の利いた感じにしたくて、ジャズとエレクトロニカのクロスオーバーがメインになって
マジのエレクトロニカとかアンビエントに傾倒していっている
moimoimoiについては、仲間の取注さんが作曲してくれているのでそこまで考えずにって感じ
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聖飢魔Ⅱだけはよく聞いていた
そんな中で徐々にメタルから遠ざかっていたんだけど
聖飢魔Ⅱだけはよく聴いていた
それは、彼女に紹介して彼女がファンになったからっていうこともあるんだけど
どうもそれだけでもないような気がする
高校時代に聞いていたメタルの中で、聖飢魔Ⅱは僕にとってそこまで好きなバンドというわけでもなかった
それが、大学時代パフォーマンスに打ち込んでいく中で
そこまで好きなバンドじゃなかったはずの聖飢魔Ⅱが、なんだか好きになっていったんだ
そこらへんに聖飢魔Ⅱの魅力があるんじゃないかしらということで整理してみる
デーモン閣下のタレント性とマジックの共通点
僕はジャグリングをメインの演目にしてはいたけど
高知大学奇術部Trick or Treat というマジックサークルでパフォーマンスを学んでいたこともあって
大学3年の時から、高知のマジックバー「手品家 高知店」でアルバイトとして勤務して、テーブルマジックを披露していた
日本人はマジックを「見る」のが下手だという話が若いマジシャンの間でよくなされる
なぜ、観客は虚構の世界を楽しめないんだという観客に向けた不満だ
マジックは種があるのが当たり前で、「それを使ってどう観客に夢を見せるか?」が目的なのに
お客さんときたら、種を見破らないと負けだと思っているのか、隣にいるお姉ちゃんの手前悔しいのか
種を見破ろうとして、見破れないと怒り出したりして、本当に品がない
このような不満を若手のクロースアップマジシャンであれば、だれでも持つものだと思う
デーモン閣下は、こういう種類の不満を吹き飛ばしてくれるのだ
デーモン閣下が、本当は悪魔じゃないなんていうのは、誰にだってわかっている
そのうえで、タレントという枠の中で悪魔として踊ってみせる
デーモン閣下のスタンスは、種があることを前提で夢を見せるマジックと似ていると思う
しかし、デーモン閣下に隙はない、全てに負けないで虚構を貫き通す
記者「デーモン小暮閣下、お子さんが産まれたということですが、お子さんにはやはり悪魔とつけるのですか?」
閣下「何を馬鹿なことを言っている、お前は自分の子供に人間って名前を付けるのか!」
記者「ライブの度にメイクが大変だと思うのですが」閣下「これはメイクではない、こちらが素顔だ!それにあれはライブではない黒ミサだ!」
タモリ「汗で白いのが浮いているように見えるけど」閣下「これは蝶でいうところの鱗粉のようなものだ!」
こんな調子で、全てを論理的に返していく閣下は非常に爽快だ
虚構を扱って夢を見せる限りは、その自分の作った世界に責任を持たなければならない
クロースアップマジックという限られた空間でもそれは難しいけど
閣下の場合は、日本全国に対してその責任を果たしているのだ
その作品に対する生真面目さと頭の良さが、聖飢魔Ⅱの魅力にもつながっている気がする
(2に続く)
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