先々週、先週と紹介していたカタタチサト新作公演「ぬぐいぬち」
昨日も今日も開演10分前には札止めするほどお客さんが来たらしい
僕は1日目の公演を見させてもらって、ただただ圧倒されるばかりだったんだけど
終わった後には不思議と自分もまた創作をはじめたい気分になっていた
もう2日目も終了したので、感想かんかをつらつらと書いてみようと思う
身体が浮き世離れしている
僕がカタタさんを初めて見たのは、瀬戸内サーカスファクトリー企画の
カミーユボアテルの「キャバレー」前のワークショップだった
その時の印象の時点で「この人からだ細すぎるだろ」って感じだったんだけど
今回のカタタさんのダンスはソロ公演ということで、本人の動きと相まって
身体の浮き世離れ感がすごかった
それも、例えばmoimoimoiの仲間のしらさわさんの人形のように、作り物ではないので
(生身の人間が持つギリギリの人間感)と(浮き世離れ感)の間で、僕の感覚が揺れるのがアドレナリンが出る感じで
思わず「うわぁぁぁ、これすごいわぁ」って言葉が出た・・・そんな言葉で表せるモノでもないのにね
ライブってやっぱりいい
その浮き世離れした何者かが、客席近くに寄ってきたときの、緊張感もよかったなぁ
つい先週、普通にお話して、公演後に僕に体当たりしてくれたカタタさんのはずなんだけど
近づいてきたときの「あ、ヤバイ」って感じ、映画には出せないよね
それは、カタタさんの演技者としての技量とか圧力とかが関わっているところで
あぁ、これがアーティストの舞台ってものかぁっすげぇなぁって思った
まぁ、僕なんかが言ったところでってもんなんだけど
本当に恐れ入りましたって感じ
指が面白かった
あと個人的には指が面白かった
ダンサーっていうと、身体に目がいきがちで、バレエみたいな薬指曲げぐらいしか見えない感じだったんだけど
今回のカタタさんの指が、身体と同じぐらい不思議な感じに見えた
身体と分離してるわけではなくて、でも記号的な感じもあって、そういう使い方もあるのかぁって思った
ロジカルな言葉が虚しくなる
あとアフタートークを聞いてて
(ロジカルな言葉で表現するのが虚しい)って思った
アフタートークでは高松市美術館の学芸員の人がゲストに出ていて
とてもわかりやすく解説してくれたんだけど
決してこの学芸員の人が悪いとかそういうのじゃなくて、その解説すること自体が虚しいと思った
「あるであれがーーのようでもありーーのようにも見えて、ーーかなぁっと思って見ていました」という
普通だったら非常にわかりやすくかみ砕いてくれているはずの解説なんだけど
その解説のような一般的なわかりやすい言葉で、今さっきまでの演技を固定してしまうのが本当にもったいないと思った
見る前とか、見てない人に対して紹介して興味を持ってもらうにはとてもいいと思うし、この学芸員の人のファンっぽい感じにかなり好感を持ったんだけど
それとは別のところでイライラした「そんな言葉で僕のイメージを精緻化しないでください」って思った
アフタートークの最後のほうで学芸員の人が「カタタさんのダンスとか技術についてあまりお話できませんでしたが・・・」っておっしゃったのに対しての
カタタさんの「・・まぁ、今見たしね」っていう言葉が僕の気持ちを代弁してくれるかのようだった
パフォーマンスは複雑怪奇だ
ある種、そういう言葉にできてしまうのなら、小説か俳句でも作ればいいようなところで
パフォーマンスっていうジャンルの意味を問い直されるような気分がした
昔は僕は映画で言ったら、ジブリやディズニーのように「説明しなくても分かるような作品にするべきだ」って考えで
最近「説明しないとわからないほうが豊かなんじゃないか?」っていう考えに寄ってきていたんだけど
「説明してわかるのが本当に豊かで美しいのか?」っていう疑問がわくような公演だったな
いやぁ、パフォーマンスっていうのは本当に複雑怪奇でやってて終わりがないし、魅力がつきない
いいものを見せて貰いました
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